GENTE〜リストランテの人々〜
- 作者: オノ・ナツメ
- 出版社/メーカー: 太田出版
- 発売日: 2009/03/12
- メディア: コミック
- 購入: 8人 クリック: 30回
- この商品を含むブログ (131件) を見る
リストランテ・パラディーゾの前後の話。というか、パラディーゾのほうがおまけじゃないかと思うのは、わたくしが大人になったからでしょうか。
オノ・ナツメさんのビターな人間関係と空気感はやっぱりたまらない。3巻のリッツォ氏とサヴィーナ夫人のカフェでのやり取りは胸が苦しくなる。ということで3巻特化。
「恋すること」と「愛すること」と「家族になること」は全然違うことだ。これが連なって順繰りにやってきて「家族であり続けること」が全うできる人は、個人的に幸せだと思う。あくまで個人の意見。
「恋すること」はパワーがいる。「愛すること」は許容と信頼がいる。「家族になること」は努力がいる、と端的に今のわたしは思う。一度目に通る道であれば、すべてが目新しく喜びと不安と楽しさでいっぱいだろう。もう「がむしゃら」という言葉はこの時間のためにあるんじゃないかと言ってもいいと思う。
でもここに出てくる紳士淑女はそうではない。一度は通った道を再び、望むにせよ望まざるにせよ歩むのだ。
人はみな必ず歳を取る。再び歩むとき、必ず歳を経て経験が身についている。そんな中での既視感。恐怖が先にたつか、希望が先にたつか、そうではなく、別の何かが降り注ぐのか。それは人によって違うのだろう。
リッツォ氏は美しい奥方がいながらの生粋の遊び人で、奥方も反発して遊んじゃってる。でも夫婦。サヴィーナは離婚を直前にし、心が彷徨っている。そんなときに二人は出会う。
同じことを何度も何度もやって、何度も何度も同じ結果になることがある。リッツォ氏は「アソビ」だから何度もやってるが、一度きりでいい人もいる。それはルチアーノ。ルチアーノの奥様の台詞がもう、涙が止まらないったら(毎度毎度)。
真剣さ、というのではないと思う。人としての資質の問題じゃないかな、これは。懲りない人は続ければいい。ただわたしはルチアーノのファンです!!
今回の「恋すること」と「愛すること」と「家族になること」は、ヴィートのプロポーズのシーンで考えたこと。自分はどうなんだろうなぁと、しみじみ考えた土曜日の夕方です。