生きることは物語を作ること、をテーマに日々哲学するブログ

生きるとは自分の物語を創ること

日々のじだんだ ~見習いみかん農家4年目~

「悲劇」と聞いて、なにをイメージしますか?

「人間一度しか死ぬことはできない」
シェイクスピア。言い回しがいちいち仰々しい。でも嫌いじゃない。むしろ好きです。そんなに詳しくないですが。

 今はもうブームは去っていると思いますが、とにかく恋人を殺すのが流行ってた時期がありましたね。あれはいただけなかった。日本人独特なのかな、死んだ事実だけを(それは他人の死に過ぎない)思うばかりで過去の回想のみ徹底していることがヒロイズムと勘違いしてる感じ。それは単に哀しがってるだけで主義、主張、流儀ではないんだがなと思って温くスルーしていました。まだ一合目だよ、せめて七合目で憂えてくれよと。それじゃ登山じゃなくてピクニックではないか。自ら人生を平坦にするチョイスを無意識にしているのだとしたら、それはある意味幸福かもしれない。

 なかなか悲劇は起こらないのです。身に覚えのない災難は災難でしかないのです。自分が意識して片棒担いだとき、それが当事者になるということなんだと思います。ワイダの「本当の悲劇は、善と善が戦ったときに起こるのだ」というのは響きました。経験者は違うなぁ。でも経験してよかったのだろうかと考えてしまう。既に起こったことや運命には逆らえないけれど、偶然が作り出した哀しい現実の当事者になったとして、自分が耐えられるかどうか自信はありません。