生きることは物語を作ること、をテーマに日々哲学するブログ

生きるとは自分の物語を創ること

日々のじだんだ ~見習いみかん農家4年目~

地球最後の日に旅するとしたら

 インタビューズで書いたような気がするけど、最近あのサイト夜繋がらないんだよね。

 地球最後の日に旅するとしたらどこに行きますか?


 わたしはチェルノブイリアウシュヴィッツに行きますね。チェルノブイリでは観覧車があるそうです。空っぽのね、観覧車。誰がためでもなく、モニュメントでもなく、ただそこにあったものが残ってるだけの場所。アウシュヴィッツもそうよね。記念碑なんかじゃない。悲劇の後に建てたわけじゃない。ただ残ってるものですよ。それを見に行きたいね。

 原発反対のあれこれを見るたびに不思議に思う。再稼動反対と福島へボランティアで行くことが、わたしの中で結びつかない。被爆するよ。そこで被爆して被爆手帳もらうつもり? と思ってしまう。バッシングしかしないのは能無しだと思う(出た、暴言)。代替案とかシステムの見直しとか必要なのに、そこじゃなくてすぐに「現地」を言い出すのはどうなんだろう。あのとき銀行システムもパンクした。あれも「想定外」が起こったからだ。想定外のテストは通常業務のテストより甘い。なぜか。「想定外」だからだ。

 昨日「プー!!!」でも書いたけど、わたしがひねくれてる証拠なんだろうけど、マスメディアなんて操作されているんだから三重ぐらいのフィルタがかかってるわけで、直結させて美談にすりゃ土壌浄化されるのかって。んなわけない。モニュメントだってそうだ。浄化の役に立たないものに金をかけるのは無駄遣いって言わないのかな。

 確かにありゃ(ウラン)人間の手に負えるものではなかったかもしれない。でももう使われてしまったもので、対処しかできない。ボランティアが頑張るところじゃなくて、プロが頑張るところなんだと思う。きちんと報酬ももらってね、きちんとプロの仕事をするのよ。

 でも、医師会の本を読んでも思ったけど、国が資格を渡した人(国家資格保有者)が、必ずしも善人とは限らないわけで、だから今もって「やぶ医者」が看板掲げてられるわけで、あーあ、進歩しないなあと思うのでした。