生きることは物語を作ること、をテーマに日々哲学するブログ

生きるとは自分の物語を創ること

日々のじだんだ ~見習いみかん農家4年目~

ウッドネックと見せかけて、うりちゃん計画

 タイトルどおりでなんにも芸がありません。こんばんは。ともすれば、おはようございますの人もいそうな時間かしら。

 妹ちゃんと、父の「うりちゃん計画の阻止」を一生懸命考えてた昼間でした。うりちゃんとは、うりぼうです。いつか「うりぼうのうりちゃん、よろしくね」と言われそうな気がしてしょうがないのです。確かにうりぼうは可愛いですが、それはひよこにピヨちゃんと名づけるほど安直な行為です。しかし、田舎では存外自由がきくので「うりちゃん専用畑」で放し飼い(電柵内)とかやりそうで怖いのです。

 妹ちゃんの最後の言葉は「父に毛の生えた生き物を、見せるな!」ということでした。それは困難であるよ。

 写真はネルドリップでコーヒーを入れるためのものです。カチャオさんで使ってるのと同じのを購入。ちょっとした自分ご褒美です。それほど高価なものではないけれど、専用の調理器具というのは「特別」な気がします。毎日使うから特別じゃないかもしれないけど。でもやっぱり、グラタン皿とかガラスのカップとか「特別」です。それ専用、というのが既に「特別」です。

 つい昨日のこと、amazonのカートが「56個入ってます」状態で削除に苦労したのです。やみくもにクリックしてはいけません。その後、単調にクリックする仕事が待っているからです。私はあまり単調な作業に抵抗を感じないのですが。むしろいちいち「ああ、これがほしかった頃は」と思い出して、時間を浪費するのが趣味になりそうで怖いぐらいです。本とか絶対地雷。どの版でもいいよってすると、際限がなくなるから初版にこだわる部分もあります。当然、初版ならではの特異さがときめくのですが。

 スーパーではカートを使いません。買うのは持てるだけにしよう、という心がけです。ウィンドウショッピング、というのはめったにしないので記憶がおぼろげですが、たいてい歩き疲れてやめます。クリックも疲れたらいいのに、と思います。慣れは怖いです。腱鞘炎になったらなったで困るけど、疲れを認識できないのも困り者です。

 明日は近所に銀杏を見に行こうかなと思います。きっと短い一日になるでしょうが、何も残さない日より、何か残した方がいいなと、思ったんです。秋は通り過ぎるのが速いから。