サンシャイン2057
- 出版社/メーカー: 20世紀フォックスホームエンターテイメントジャパン
- 発売日: 2007/09/07
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映画というのはとても一方的で、だからこそ最後まで見られないものが多い。映画マニアほど映画を見ているわけではないけれど、うーん、ありきたりな映画ではないんだな。途中まではありきたりかもしれないが、いや、ありきたりではないな。
宇宙モノは潜水艦モノと似ている。密閉空間で空気も水も限界がある。その中でいかに助け合い全員が助かるか、という問題ではなくて、そもそもイカロス2号に乗った時点で彼らは人類の存亡という大義名分のために死にに行っているのだ。だから最初から死と対峙しているし、生き残る=目的を遂行するだけ、純粋にそれのみだ。全員じゃないけど。
この映画では太陽が神だ。圧倒的に人間がかなう相手ではない。死に様もそれぞれだ。自ら死に行くもの、あがいて死ぬもの、喜びを手に死に行くもの、それぞれだが、死そのものに意味はない。だって最初から「死にに」行ってるのだから、順番にさほど意味はもてないのだ。私の場合。ただ、死に方、死に様、なにが彼らを立ち止まらせ、死に飲まれたのかということが、とても重要だった。
少なくともここではOK牧場は繰り広げられない。みなの死は「人類」のための死であり、終わりではなく始まりのための死であった。緊張感? あっただろうが、私には余裕にさえ感じられた。任務遂行のカウントダウン、なにをどこまで誰にさせるか、それだけのために全員が動いていた。
もちろん罪悪感や後悔もたくさんある映画だが、ラストの神との対峙を見ればふっとぶだろう。スターチャイルドなんていない。人間は小さく脆く、愚かで尊く無謀だ。どこでどのぐらい一人で過ごそうと、人間は人間の領域を超えられないのだ。
これを見て思い出したのは当然プラネテス。プラネテスの主人公ハチは大仕事をやってのけるけれども、その前はゴミ拾いをしている。一方ロック・スミスは宇宙船の開発をしている。どちらが大きな仕事かはわかるだろう。けれど、ロックスミスの船に乗れるのはハチであり、ロックスミスは乗らないのだ。どちらが大きい、偉大だという話ではなくて、それぞれに役割があるということだ。
神、それは手に取れない存在。国によっても種類が違う「なにか」だ。私は神を創ろうとは思わない。なぜか。それはおこがましい行為だと思っているからだ。神はそこらじゅうに存在していて、もし、万が一自分が「神」と呼ばれる日がくることがあっても「ふーん」とやりすごしたい。
- 作者: 幸村誠
- 出版社/メーカー: 講談社
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