生きることは物語を作ること、をテーマに日々哲学するブログ

生きるとは自分の物語を創ること

日々のじだんだ ~見習いみかん農家4年目~

「報道」と聞いて、イメージしたことを自由に書いてくれますか?

「どのように責任を取るおつもりで?」


 マスゴミ。この単語を作った人はすごいなあと思います。ゴミですよ。本当にゴミばかりです。でも中には時々だけどいいものもあって、とても考えさせられます。

 そもそも日本のテレビ放送っていうのは、戦後からがらりと変わったんですよ。主導権を握るところが出てきたんです。そこがいわゆる報道規制、思想の押し売りをしたんです。国営のそれも多少その気はありますが、時々いいのがあるのはたいてい国営のそれです。ああ、まだ魂売ってない部分あったんだ、と思います。

 第二次世界大戦の終焉と日本のアメリカの属国化は、わたしたち世代では「当たり前」として育ってきました。教科書も、テレビも、音楽も、小説も、なにもかもです。逆に鎖国したようなものです。と、わたしは思っています。気づくの遅くて「取り返したいよう!」と思うこともありますが、あの文化であり、そこで疑問を持ったから、ここで気づいたんだとも思います。

 というわけで、報道規制された上、それが長々と続いてさらに腐敗し、もうバカらしい局地だと思っています。新聞もそうです。あからさまに売りに出すなよ。その事実のそこをプッシュするなよ、なんでもお涙頂戴の物語にしようとするなよ、と思います。

 ドキュメンタリーと報道は違います。ドキュメンタリーはある程度の主観が絶対必要です。報道は事実のみを並べていくものであってほしいと思っています。その列挙された事実から、自分がなにをどう繋いで、どう考え、そしてどうするかを考えたい。でもそれができる媒体が少ないってのは哀しいね。

 ネットで見られるニュースもダメなほうが多くて、正直暇つぶし程度に見ているだけです。装飾にまみれた中で真実を見つけながら読むのは骨が折れます。だから昼休みにチラッと見て、ポイント押さえるぐらいでいいやと思っています。

 わたしは日本という国にいて、日本語以外は正直CNNニュースが即効理解できるほどわかるわけじゃない。だから報道からINPUTするとすごく危うい。なのでクズみたいなのは見ない。そうすると逆に見なきゃいけないものも見逃すことはあるけれど、自分がぶれないですむ。

 テロのニュース、もう流れなくなりましたね。もう風化しているんでしょうか。亡くなった方は残念です。しかし、わたしはなぜあの事件が、彼らによって引き起こされたのか、そこがずっとずっと知りたいと思ってニュースも新聞もネットも見ています。国営のドキュメンタリーのなかで一つだけいいのがあったよ。

 あれさ、やり方が過激だとか言ってた人がいますよね。人間に爆弾巻いて壁にするなんて非道だって。なに言ってんの? 戦争は、純粋に戦争って勝つためにやるんですよ。恋人の本棚にあったんだけどタイトル思い出せない。戦争とは完全に相手を殲滅させることであるっていうやつ。そうなんだよ。負けるために戦争なんてしないんだもの。非道なことができるなんて人間じゃない、っていうなら服従の心理読んでごらんよ。正常な精神状態でも人はアウシュビッツでのあれこれをやれるんだよ。やったことじゃなくて、なぜやらなければならなかったのか、それが大事だろう。

http://theinterviews.jp/cimacox/5065001