生きることは物語を作ること、をテーマに日々哲学するブログ

生きるとは自分の物語を創ること

日々のじだんだ ~見習いみかん農家4年目~

今日ようやく週末気分

天然コケッコー (1) (集英社文庫―コミック版)

天然コケッコー (1) (集英社文庫―コミック版)

 これはいい天然です。こんにちは。この土日はどうにも休めなかったので(仕事には行ってない)、今日がようやく週末のような気分です。テレビ番組も特番ばかりになって曜日感覚が狂うしね。さすが年末だ。

 会社に天然さんがいます。不思議なんです。天然だから不思議なのは当然だとは思うけれど、二日に一回ぐらい不意打ちパンチを食らいます。勤め始めてから1年間席替えしてないから、1年間ずっとペースが変わらないので、相当のものだと思います。

 そんな彼女の今年の天然発言No1は、マイナンバーについてのことでした。
「会社がマイナンバーを教えろっていうの。なんで個人情報を教えなくちゃならないの?」(そもそももっと大事な個人情報を会社に預けてるがな)
「行政に居場所を知られたくないのできっとマイナンバーも届かないわ」(税金払ってるからしっかりばれてます)
「軽減税率がマイナンバーのカードの提示が必要になるんだったらカード作らないといけないんだけど、カメラを通して個人情報が洩れるかもしれないからカードが作れなくって軽減税率されなくなっちゃう」(もはやどこから突っ込んでいいのか不明)

 地味にぐっときたのはPDFの文書をWordにおこしていたとき(そもそも論はおいといて。この世の中には我らには理解できぬ事情があるのだ。電子文書を紙に印刷して入力するってことぐらい普通にあることだ)、自力禁則処理をしていたこと、思い通りにいかない部分はオブジェクトを使っていたこと、そして締め切り日に自力禁則処理を解除していたことだ。作業効率なんてどうでもいい国がすぐそばにあるんだ、きっと。

 この天然姉さんは実害がないのでいいとして(自分勝手ですみません)、ここで終わり。この世の中は彼女にとって障害だらけなんだろうと思う。幸多きことを祈る。

 こうすれば簡単だよ、ということはできるけれど、こうでなくてはダメと思い込んでいる人に対してそれを言うのはとてつもなく「余計なお世話」だ。そうでなくするためには、アドバイスは適当に伝えて、その仕事を取り上げてやっちまった方がいいんじゃないかと思う。しかし双方派遣社員、違う部署、違う上司。うちの上司は通りすがりにお菓子をくれるような親切な兄ちゃんだが、隣の上司は仕事中に菓子を食うなどなにしに来てるんだという人なので、とうてい言えない。

 そもそも、仕事中の飲食についてだけでこれだけきっぱり意見が分かれる人が、なんの隔てもなくお隣にいる時点で不思議なものですが。歴史のある大企業ならではなのかもしれない。ちなみに、天然姉さんは飲食禁止の上司の元、こっそりよく食べてます。私は昼のコーヒーだけです。入れ替わればよかったのか?

 余計なお世話になついて、本当に飽きるほど考えたのでもう考えたくもないけれど、時々自分に問うことがあって、そのたびに「本当の私はとても不親切で冷酷な人間ではないのか」と思う。捨て猫(犬)に餌と同じだ。責任が持てないなら餌をあげてはならない、が正解なのか、今だけは生き延びろと餌を与えるのか。

 結局どちらも自己満足を満たすことには変わりがなくて、未来のことなどわからない。やるかやらないかは、それぞれの自己満足の満たし方の好みなんだと思う。そう考えると「ありがとうの安売り(生きててくれてありがとうとか。トイレを綺麗に使ってくれてありがとうは十分なけん制効果があるから安売りじゃない)」と変わらんのだな、と思う。近頃は前よりそれを正解として押し付けることがなくなってきたから、余計に私は考えているのかもね。あ、私は言うべきところではありがとうって言います。思ってないと言いません。

 さ、今日は何しよう。あと少し残ってる残務を片付けて、買い物いけるかな。