生きることは物語を作ること、をテーマに日々哲学するブログ

生きるとは自分の物語を創ること

日々のじだんだ ~見習いみかん農家4年目~

結局は人で選ぶ

 本はもっぱら作者で選びます。そういう人は多いのか少ないのか。体感としては「かなり少ない」だと思う。こんばんは。今日は珍しく平日一人休みでレモンジャム作ったりパン焼いたりホワイトシチュー作ったりしてました。

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 レモンジャムは特に、ほかのどれよりも砂糖を使うね。砂糖控えめにしたら違うものになるわ。でも、手作りだと凝固剤もなく作れるので、触感のフレッシュさも違う。やはり手作りはいい。っていうか、砂糖控えめで「お早めにお食べください」なんて保存食じゃねえ。

 さて、けっこう前のことだから乗り遅れ感満載だろうけど、クウネル。初代クウネルはとても愛していて、手ぬぐいだの布巾だの持ってるぐらい、普通に定期購読していた。それがいつぞやから「なんだかちょっと違うな」と思い始め、定期購読をやめた。それがいつだったのかも覚えていない。たぶんお弁当の本2冊目くらいだと思う。

 そのクウネルがリニューアルし、アマゾンが静かに炎上している。星1つのレビューの多くがリニューアルを悲しむ声だ。「静かな炎上」と呼ばれるだけあって、哀しみの声は本当に静かで、それでいてしっかりとした文章だ。

 しっかりした文章というととても失礼だが、情報系のブログも腐るほどあり、レシピサイトも全部がオレンジページのようで(オレンジページは好きですが、全部のレシピがそうであってくれとは思わない)、そう、どこを読んでもオリジナリティというか、その人が見えないというか、まったくその人なんてにじみ出ていない文章だらけなのよ、今(も)。そんな中、クウネルを悲しむレビューは本当に「ああ、この人はこんな風に悲しいのか」とか「この人はきっとこんな風にクウネルを楽しんでいて、その時間がさみしいのか」とか想像できるくらい気持ちがこもっている。

 これは喜ぶべきことではないかな。愛されていたってことだ、クウネル。良い雑誌でしたよ。新しいクウネルもきっと良い雑誌でしょう。きっと手に取らないけど。

magazineworld.jp

 いろんな感慨があるけれど、私は初代のクウネルからしばらくして購読をやめてしまっている。なんだかなあと思った「なんだか」はきっと編集さんが変わったのだと思う。その、初代のクウネルの編集長さんがこちらの雑誌を作っている人だそうだ。お高い雑誌だけどついついぽちっとしてしまいそうになる。最近の雑誌は(ああ、おばさんぽいなあ、私)疲れるんだ。えぐざいるが全部同じ人に見えるようなおばちゃんには、別世界のことだから、いっそ火星で家庭菜園してるほうが親近感が持てるんだよ(会社の、オデッセイを見た人が言ってた。「えーっと、植物好きよね? うん、家庭菜園してたからきっと好きな映画だと思う!!」って)

www.tsuru-hana.co.jp

 結局この人の感性が、センスが、選ぶものが、見るものが好きだということだ。雑誌まで人で選んでいたのか私。でも、新しいなにかを、あえて、冒険して、好奇心で、手に取ること自体に魅力を感じなくなっているのかもしれない。本も映画の選び方も基本的にはそうだから、そりゃ雑誌だけ違うってことはないよねえ。新しい何かより、変わらない、あるいは年月によっての経過が感じられるもののほうが、心から安心できるのは間違いない。もし植物が一足飛びに成長して綺麗な花を咲かせても、あんまり価値を感じられないのと同じように。

 雑誌など、たくさん発行してたくさんの人に読まれてなんぼのものなのかもしれない。でも、同じものばっかりになると絶対に「雑誌」というものを手に取らなくなる人がいる。そういう人に手に取ってほしいという意味で多様化や多岐化するわけで、ということは、取材やデザインに潤沢にお金を使うことができない雑誌が出来上がる。だって絶対数が違うから、広告の意味が違う。最初はきっとある程度予測した読者数を獲得できていてよかった。しかし徐々に読者数が減り(そもそも多くはないから、話題の流動性が一貫されていないのでばらつきが出る)、存続が難しくなる。なるのかな? 右肩上がり以外は認めない結果主義、つまり結果が目的になった時点で「存続が難しい」になるんじゃないのかな。まぁ、どっちでもいい。

 このループは1990年代後半から身に感じる。本当はもっと前からなのかもしれないけど(いや、そうでもないか。バブルは一切の恩恵を知らない氷河期世代ですから。っていう程度じゃなくて、経済学的にはもう議論されつくしたことだろうけどってこと)、じゃあどうすれば「不毛さ」や「すり減り感」を少なくできるのか。

「すり減ってるなあ」と感じることは、かなり大切な部分を「雨垂れ石を穿つ」ようにえぐられていることと同じだと思う。できることなら、その部分が進化で分厚くならないうちに、そんなもの感じなくていいような仕組みなり、流れなり、できたらいいのにねえ。

1Q84 BOOK 1

1Q84 BOOK 1

 今これ読んでるから「あけぼのか? さきがけか?」とか思っちゃう。宗教化するとろくなことないから(偏見です)やめたほうがいいよね。