生きることは物語を作ること、をテーマに日々哲学するブログ

生きるとは自分の物語を創ること

日々のじだんだ ~見習いみかん農家4年目~

なにもかも「全体のうちの一部」だと思うんですが

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デンドロビュームのつぼみとハオさん。デンの写真は難しい。おはようございます。今日はゴールデンウィークの平日。塩鯖が休みなので遅くまで寝るぞー!! と息巻いて、昨日22時にすぎに撃沈したため5時半起きです。塩鯖、休みの日は早起きするんだ。小学生か。私はたいてい早起きです。おばあちゃんか。

ちょうど去年の今頃ハオさんががっつり増えたんですが、もう一年かぁ。植物があると時間の経過を楽しめるので良いですね。ソメイヨシノは新緑真っただ中です。春は唐突にやってくるんだなあって思います。

さて。

ゴールデンウィークは引きこもりなのでテレビをよく見てます。だいたい午前中にあれこれ済ませて、午後からプール、からのごろごろ海外ドラマの流れなんですが(なんて自適ライフ)、不謹慎狩りという言葉をよく耳にします。実際に目の当たりにしていないんだけど、なんだかすごく引っかかるんです。

きっとごく一部の人がやってる「それは不謹慎だ」という指摘、怒りなどを指しているんだろうけど、それがあまりに痛烈で攻撃的だから目立つのだろうし、ずーっと前に書いたこの記事のどっかにも引っかかると思うんだけど、なんだかこう、ヒステリックさが目立つよね。クールさを装っても言及する時点でちょっとヒステリックなんだろうね。私もね。
cimacox.hatenablog.com

この記事を書いたころと今は多少変化していると思うけど、ソーシャル・ジャスティスっていうのか? ジャスティスかざせば人を傷つけていいってことはないんだよって思いますね。これはいつの時代も言われてたことだろうけどね。

どういう形態の意見であれ、発言そのものは常に「全体のうちの一部」だとわかっていないと、ひどく危険なことになるってことは簡単に想像できることだけど、渦中にいても気づけないこともあるんだろうなあと思います。特にこういう時代は。

私は不謹慎狩りより禁句を踏まないようにするがために、言いたいことと言ってることがかい離しているほうが気になってるんですけどね。
正直であることは、常にまっとうであることや正確であることとはイコールじゃないし、諦めないってことや希望を捨てないってことは勘違いとも違うから、できればもっと正直に生きられればいいのになあと思うんです。

さ、ゴールデンウィークが折り返しだ。明日は友達が来る。