更新が滞っているのは、忙しかったり、ぼさーっとしてたりで時間が経過してしまった、ただそれだけです。
今日は初めてセルフヒプノの講座に行ってきた。その直前、この本を読んでいた。これがとんでもシンクロだった。
この本に出会ったのはいつかな。たぶん発行されて2年ぐらい経過していたんじゃないかと思う。私は作家と河合隼雄先生の対談が大好きだ。単純に、純粋に、疑う余地もないほどに私が癒される。そして作家の作品やエッセイを読むよりも、私の知りたかったことを言葉に残してくれるから好きなのだ。

- 作者: 小川洋子,河合隼雄
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2011/02/28
- メディア: 文庫
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この本は小川洋子さんがリードしつつの対談ではあるけれど、人が生きることについて真摯にお話されている。テーマは特に設けていないと書いていたが、それにしても守備範囲が広い。生きることと死ぬこととと、ただそれだけの営みと言ってしまえばそれまでだけど、人には必ず文化(信仰)が沁みついていて、何年もの歴史を背負って生きていて(これは前世からの物語というのもあるかもね。でもそんなこと、わかんないし、そうだと思うならそうと決めてしまえばいい類のものだと思うんだわ)、否応なくストレートには受け止めがたい現実に直面することもあって、それでも生命という塊は生きる道を選ぶもの。

- 作者: 河合隼雄,吉本ばなな
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2005/08/28
- メディア: 文庫
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たしかこの対談でばななさんは「死ぬという選択肢は簡単だから選ばない」と言っていたと思う。こんなこと言えるのは、よしもとばななさんの感性・距離感で、彼女なりに正しい「死」との距離を持っているからだと思う。彼女の小説は死があふれている。しかし、それも含めて「人生」を愛している。それが伝わってくるから、彼女の小説が大好きだ。
人は生まれてすぐに建前や社交辞令や「間を持たせる会話」を言えるわけじゃない。おっぱい飲みながら「おかん、今日もいい天気やな。おっぱいも調子ええな」とか言えない。魂そのものの叫びしかない。当然「死」なんて知らない。同時に「死」そのものでもあると言える。とてもとても、純粋な、無垢な存在なのだ(そしてそういう存在を見た自我のある人間は、庇護したいと思う。これが母性。誰にでもある当たり前の愛。私は子供苦手と公言しているけど、母性を否定はしていない。庇護したいと思うよ~。甥っ子たちは庇護したい上にいじめたいし可愛がりたいよ~。母性のエゴ使い)。
そういう存在からどんどん生きやすさの為に、本音を隠す方法とか、言い訳とか、嘘とか、沈黙とかを鎧のように着ていく。近い将来、それらが重くなる日もくるわけだけど、それまではそれに守られながらね(※この鎧は後で出てくる)。そんな風に一生懸命生きていると、死はとても遠く、死への意識は生まれたてのころあんなに近かったのに遠くなる。
しかしね、生きていると死からは逃れられない。家族やペットや身近な誰かの死を見ることになる。そのとき、どれくらい「死」を理解し、取り込み、滋養にするか。そういう時、人はとんでもなく大きな物語を作ることになるんだと思う。もちろん、一生懸命に生きて、死なんて関係ないと思っているときにも物語を作っているんだけどね。
このブログのタイトルは素晴らしいなと改めて思う。生きることは物語を作ること。それは哲学することでもあり、運命を生きることでもある。人はそれぞれにそれぞれの物語を描きながら生きている。冒頭の小川洋子さんと河合隼雄さんの本のタイトルからいただいたように見えるけれど、実際違うんだけどもうどっちでもいいや。これが真実だから。
そして私は、というと、その美しさを残しておきたいと思うから、今自分が身に付けているスキル(っていうと、仕事みたいでいやだなあ)を総動員して、ひとりひとりの物語を書きたいと思っている。文章力、自分では「ある」とは言い難い。でも、なぜか人から褒められるのはここだから、きっと私のここは光っているんだと思う。信じてみようと思う。
長くなりました。が、今日セルフヒプノの講座を受けて、実際にヒプノってる最中に見たもの、とんでもなく大きなスクリーンに映し出された草原、宇宙、巨大魚たちがのびのびと泳ぐ海。それらを見ながら私が思ったのは、こういうことなのでした。時間にしておそらく5分程度の出来事。
この講座を開いていらっしゃるのは奥田珠紀さんという素敵な女性。彼女に出会えたこと、彼女からセラピーを受けたこと、全部本当に「良かった」って心底思う。目の前を通り過ぎるいろいろを見ながら、自分が「重いな」と感じた。それはきっとけっこう脱いできたと思っていた鎧(※のとこのやつ)があるんだと思う。決して不要なものではないんだけど、着脱可能になったほうが、いくらも身軽に動けると思うから、今日からちょっと自分の為に時間を取ろうと思う。
完全に頭がいっちゃってる人の話みたいになったけど、明日は普通に会社に行きます。生きてくうえで社会性は必要だからぬ。