生きることは物語を作ること、をテーマに日々哲学するブログ

生きるとは自分の物語を創ること

日々のじだんだ ~見習いみかん農家4年目~

読書感想文だけ

 おはようございます。昨日読んだ本の感想だけ。昨日なにしてたっけな、あ、調子悪かったんだった。ささやかに家に残ってる六花亭以外のお菓子をもぞもぞ食べて、満たされたまま寝たら8時間睡眠で、いまもまだぼんやりしている、そんな朝です。

 最近よく読んでいる齋藤さん。世界一受けたい授業で見たことがあったんだな。で、この3の思考法って言うのは、折々で見かけたので読んでみた。本人もあとがきで書いているとおり「多少強引」だけれども、物事をシンプルに3分類で考える・整理するだけでいいことあるよ、っていう本です。
 この本の中で「あ、なるほど」と思ったところは孔子さまの智・仁・勇。アイデアを出すときに自分の中にこのキャラクターを描けばいいのだ。時代は違うけど、蜀の3人とかさ。そうすると、プレゼンでよく見かける三本柱ができあがりっていう、なるほど。

 すぐに実践できる3分類がいろいろ書いてあるので、攻めの人は「よっしゃオレ今日から3色ボールペン使うわ」ってなるだろう。やくざ映画をみてやくざ風歩き方になる人を見るのがなんだか楽しいのと同じで、そういう人に会ってみたい。私はやらないのかって? 前々からGoogleKeepに思考をメモするときは3つ用意するタイプでしたからね。でもこんなに理路整然と説明できたわけではなくて「Yes,No,それ以外」みたいなざっくりメモなんだけど。見せられるものなら見せてあげたいわ、今は色分けされてるから(しっかり感化されている素直さ)。

 齋藤さんの本には引用もたくさんあるんだけど、こういうの見るたびにカラマーゾフの兄弟は読んだほうがいいのか、と思うんだが、病院にあるドストエフスキーの短編小説を読んだときの記憶「ああ、もういい。やっぱり海外作家の思考回路って入ってこない」って思っちゃう。なにかこう、心構え的なものが必要なんだと思うんだわ。それを探さねば、きっと一生読み終われない。

ぼくの死体をよろしくたのむ

ぼくの死体をよろしくたのむ

 久しぶりに純文学らしい読書をした気持ち。川上弘美さんは超久しぶり。これは短編集だけども、どれも独独の「緩む」感覚が楽しい。けれどもやはり、彼女は長編のほうがいいなあと思う。けれどもけれども、彼女の長編は濃厚だから読むのに体力が必要でいつも躊躇してしまう。どっちでもいい葛藤を常に抱える。

 この短編集は「よくわからない」というものは少なくて、むしろ「なんとなくよく分かる」ものが多かったと思う。行間を読む作家さんだと思っていたけれど、もっと違う、言葉と言葉の隙間、思いと思いの隙間を読む作家さんなのだな。

 漠然と感じた事なのできっとうまく言葉にできないが、こんな感じよ。「コップに水が6分目まで入っている」っていうのは水の量を表現しているのだけど、そうじゃなくて水が入っていないほうの空間を、水の入った空間を通して見つめた世界を、川上弘美文学はいつも描いている、ということ。生と死とか希望と絶望とかね。