生きることは物語を作ること、をテーマに日々哲学するブログ

生きるとは自分の物語を創ること

日々のじだんだ ~見習いみかん農家4年目~

知った地雷を踏む

 おはようございます。

 塩鯖がいないので家の食材が減らない。当然だけれども、去年はこれで多くの食材を破棄したので、今年は使うことにした。

 思い立ったが吉日ということで、まずは手始めにホットケーキミックスでスコーンを作る。なぜか、一人でホットケーキを焼いて食べるのはなかなか寂しいからだ(一人暮らし時代は1か月ぐらい毎朝昼ホットケーキを食べていたことがある。あの時期一生分のホットケーキを食べたんだと思う)。

 ホットケーキミックスは森永のものを使う。なぜか、これで失敗したことがないから。そして失敗したとしても「森永のホットケーキミックス味」は保たれるから。ここ大事。

asajikan.jp

 目指すところはここである。3つの材料でできちゃうんだから楽勝と思いきや、できたものはこれである。

 腹割れスコーンどころか横倒れスコーン。切り分けるサイズを誤ったということもあるが、それにしても違うもの。予想以上に森永のホットケーキミックスでは膨らみ、倒れてしまったのだだだだ。

 だいたい、作っている途中から察したんだ。これはいかん、近くて遠いものができるぞ、と。私の手はとても温かい、だからバターがすぐに溶けてしまうのだ。そんで生地がベタベタになり、練るつもりもないのに練ることになる。だからクッキーも上手に作れない。ここが地雷だということは知っていた。知っていたけれども、あえて地雷を確認するかのごとく、定期的に通りたくなる道である。

 スコーンやクッキーなど、生地を冷蔵庫で冷やしながら作ればきっと上手くいくだろう。だけど「上手に作りたい」よりも「手軽に食えるものが作りたい」欲のほうが強いので、だいたいこういう微妙なものを食べることになる。私はいいんだ、手作りスコーンと言えばこういうもの(不思議なことに、材料が多少増えたり減ったりしても、仕上がりはほぼ変わらない。むしろマジックハンド)だと思っているから。一番哀れなのは塩鯖だな。私がやる気を起こすたびに、こんな微妙なものが食卓に上るのだから。

 味はちょっとリッチな森永のホットケーキミックス味です。

 河合隼雄さんは久しぶり。将棋の谷川さんとの対談形式の本。以前の職場の上司が「河合隼雄は尻が軽いから(=誰とでも対談するから)あまり好ましくない」と言っていたけれど、確かにいろんな人と対談してたなあと思う。それは地位や立場云々ではなくて、ただたんに「人間の心理のスペシャリスト」であるから、誰もが「この人と話してみたいな」と思うんじゃなかろうか。少なくとも私は話してみたかった。

 将棋にしろプロスポーツにしろ、人間の営みだからメンタル的に繋がるところは必ずある。

 印象深かったのは仏教の念仏と臨床心理士として話を聞くということ。どちらも「集中せずに広い意識でぼーっとするといい」そうだ。本当にぼーっとすると寝るからダメだけれど、どこにも注目せず、すべてに注目しているという状態を保つことが「なんだか分かった」の瞬間に出会えるコツなんだそうだ。

 最近の私はほとんどの本を病室で読んでいる。病室だとなかなかリラックスした姿勢も取れないので、不思議な集中力で読み切ることになる。すると読み終わって一晩寝たぐらいの今、そうそう、これがあった、こんなん書いてたとかするすると思い出されるのだ。ちょうどいいといえば、ちょうどいい。しかし、とにかく肩が凝る。

 今日は月曜日、図書館はお休みである。だから本は返すだけにして、借りるのは別の日。谷川俊太郎さんの詩ではない本を読みたくて、データベースを検索している。5冊探して5冊ともわが市の図書館にはなく、お取り寄せになる。わが市の蔵書はどこ特化だよ、と言いたくなる。

 私は詩ってあんまりわかんないんだけれど、一番好きな詩はと問われたら「谷川俊太郎さんの芝生」と答える。