生きることは物語を作ること、をテーマに日々哲学するブログ

生きるとは自分の物語を創ること

日々のじだんだ ~見習いみかん農家4年目~

まさかこんな日が~船旅からの日記~

 おはようございます。今朝は妹の家から実家に移動です。今船の中でパソコンいじってる。まさかこんな日が来るなんてね。

 つい最近、東北から北海道への船便が新たに増えたというニュースを見た。働き方改革の一環だそうで、長距離トラック運転手さんがしっかりと休めるようにという配慮が盛り込まれた船なんだそうだ。トラック運転手用に個室の仮眠室もある。運転手さんがその便を使う=しっかりと睡眠や休息をとることができる、ということだ。その船には、大浴場も食堂もあった。これは一般のお客も快適に過ごせるだろうねと思う。

 私は島生まれ島育ちなので船とは切っても切れない生活をしてきた。本土にわたっても四国であるから、関西方面に行くには船だった。今でこそ瀬戸大橋やしまなみ海道が開通しているけれど、瀬戸大橋は開通30周年、私が10歳のころまでは海路が主流であった。

 今でも年に何度かは実家に帰るので、船旅は欠かせない。といっても、ほんの1時間程度の旅なので、旅と呼ぶには短すぎるかもしれない。けれど、ここ40年の変遷を考えると、感慨深いを通り越して、なつかしき昭和を思い出す。

 なじみが深いのはやはり島へ渡る小さな港だが、幼いころの記憶をたどれば、海路が元気だったころの松山観光港や広島港を思い出す。とにかくボロくて、暗くて、武骨な港だった。関西にわたる船は深夜近くに乗り込み、早朝に大阪に到着したので、私の記憶が夜ばかりなのかもしれない。ただ、大きな港の夜は明かりが多くて、水面に映るライトがきれいで、母が作ったおにぎりがやたらとおいしく感じられたことを覚えている(食堂は高かったのでほとんど使ったことがない)。

 先日ニュースで見た船は本当に豪華だなあって思うけど、きっと今の時代からすると取り立てて豪華というわけではないのかもしれない。けれど昔の船は、特に二等客室なんかは今では考えられない「全員雑魚寝席」だったし、男女の区別もなかったし、喫煙席なんてなかったし(どこでも喫煙OK)、なんというか、すべてにおいて「雑」だった。そんな雑多な中でも私はけっこう寝ていたけれど、今日の法事の主役(?)の妹は眠れなかったそうだ。「繊細」という言葉を覚えたのはこのときだった。

 昔はいいなあ、とは思わない。そういう時代もあったなあと思うだけだ。しかし、今こうして雑魚寝席で足を延ばしてパソコンを広げていると、船旅ってやっぱりいいなあと思う。そりゃ瀬戸内のべた凪の中を運行するんだからそれほど揺れもしないしね。

 北海道をクルーズ船で回るというツアーがあった。いつかは行きたいと思っている。旅友はご両親にプレゼントしようと思って相談したそうだが、お父様が「船旅は閉じ込められてるみたいで嫌だ」と言ったそうで、なくなってしまったらしい。見る方向を変えればである。確かに船に乗っていると、急な事態でも降りることはできない。それゆえに船の乗務員さんは給料がいいと聞いたことがある。

 いろんな仕事にいろんな事情や理由がある。こう感じるたびに、世界は広いと感じる。きっと、私が一生をかけて知ることができる世界なんて小さなものだろう。だけどこの海も、空も、私の見たことがない景色にもつながっていて、その向こうで私と同じように「世界のどっかにいる誰かは、見たことがない世界があるんだなあ、世界って広いなあ」って思っているだろうなと思う。この思いは、小さなころの私から今の私まで変わらない。時間を越えて、国境も越えて、船旅はいろんなことを思い出させてくれる。

 しかし、地味に揺れるな。気持ち悪いな。やはり船に乗るたびにげろげろに船酔いして、もう二度と船に乗りたくないと思っていたころの私も、まだまだ私の中で健在なようだ。そろそろパソコンを閉じよう。実家でのお仕事と法事、がんばりまーす。

(写真は適当に差し込んだ)