生きることは物語を作ること、をテーマに日々哲学するブログ

生きるとは自分の物語を創ること

日々のじだんだ ~見習いみかん農家4年目~

土用の丑の日に高知でカツオ

 おはようございます。昨日は高知に小旅行。高知に行ったらカツオのたたき。


 塩鯖はなぜか必ずチャンバラ貝と亀の手とのれそれを食べます。美味しいのか聞いたところ、のれそれは美味いがほかの2つは「食べなきゃいけない気がして」と、謎な苦行モードです。

macaro-ni.jp

 私は鯨の竜田揚げね。学校給食思い出すと食べたくなるんだよね。

 お腹いっぱい食べた後は牧野植物園で真夏の散歩。炎天下を覚悟していたけど軽く雨が降ったり、始終風が吹いていたりでとても過ごしやすい一日。たぶん連日の猛暑を過ごしてきたからだと思う。気温的には34度だったから。とはいえ、牧野植物園はあちこちに建物があるから逃げ込めるし、日陰も多いし風も通るし、目に緑が涼やかだし、とにかく最高。ここで昼寝できればさらに最高……お前たちを何をしに来たんだいと富太郎さんに言われそうだわ。


 雨上がりの青空。ブーゲンビリアはやっぱり青空が似合うなあ。土佐のアイスクリンを食べつつ涼を取って、牧野さんは終了。夏休み直前ということで、夏休みイベントも温室の改修も7/20までだったので、平和で静かでのんびりとしていた。大人3人(昨日はお義母さんも一緒)にはちょうど良い落ち着きだったさ。

 帰りに霧の森によってお茶を一服。霧の森大福はすごい人気だったけど、いまでは入手が楽なはず。でも持ち帰り品は冷凍だから、茶室でお茶とセットでいただくのがお勧めです。


 塩鯖は渋くほうじ茶と漬物。ここは山の中、なので風景が涼しい。茶室は冷房も効いていて、ここでも「昼寝したいね」と言い合っていた。なんかもう、寝ても寝ても、眠った気がしない夜が続いているからね。

http://kirinomori.co.jp/info/Kirinomori/mori_cottage/kirinomori.co.jp

 最近私がときめいているグランピングやコテージが、ここにはあるようだ。ICからも近いし(っていうか降りてすぐだし)、ここのコテージはいいだろうなあ。怖いぐらい静かだろうね。

 ずっと水分を補給しながら歩いていたので(牧野さんには冷水器もあり)体調は大丈夫かと思ったけれど、家に帰ると頭痛が。塩鯖も頭痛で撃沈。やはり少々疲れたかな。

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 さて、先日の整体で思ったことを少し。

 私が行ったのは整体教室なので施術ではなかったけれど、やっぱりここに通うのはやめておこうと思う。気を信じるか信じないかとかいう話ではなくて、なんとなく「違うなあ」って思うから。これはうまく言葉にできないのだけど、「なんか違う」のであって、ぴったりフィットするものがあるかどうかも分からないのだけど。

 最近思うのだけど、何事も行き過ぎは良くない。行き過ぎの「過ぎる」ってかなり個人差があるから、一概に「この辺まで」とは言えないので、余計に適当にいい塩梅にしておけばと非常にルーズな言葉になるのだけど、とにかく過ぎるのは体に悪いと思う。

 今回参加した教室も、大なり小なり「人間の身体には治癒の能力があり、それを最大限に発揮出来たり、適切に整えることができれば~」というところだった。そういう考えはもちろんあってもいいものだと思っている。だけどそれだけにすがるのは違うかなと思う。

 私も先日皮膚科でステロイドをもらってきて、実際塗ったら2,3日で綺麗に治って「ステロイドすげー」って思ったけど、だからってこれを毎日顔にベタベタ塗ろうとは思わない。ステロイドが劇薬だからではなくて、必要がないからもう塗らない、それだけだ。

 西洋医学東洋医学のどっちかを選ばないといけないというムードが苦手だ。相容れないものではなくて共存していいんじゃないのか。いつもそう思ってしまう。しかし、よくよく考えて見たら「両立ダメ、絶対」なんてほぼ言われたことがない。たぶん大昔に「投薬治療を受けている方は~~~(なんだったか忘れたけど東洋医学を名乗っていたハンドパワー的ななにか)を受けられません」とお金だけ持っていかれたことを根に持ってるんだと思う、私(笑)

 アトピーやアレルギーは年々増えているようだし、うちの妹も今更ながら猫アレルギーとか出てきている。これは人間の身体が弱くなったからではなくて、もっといろんな理由が複雑に絡み合っているだろうけど、ちょっと過敏になりすぎているのも大きな原因じゃないかなと思う。海の水なんてね、綺麗なようで汚いもんで、それを承知で海遊びしてて汗疹とは無縁だったのかもと思う。

 自分にとって合うか合わないか、私たちは選ぶ自由がある。いろいろと選べなくなってきたらおかしくなる。徹底しないから効果がないものも、世の中にはあるだろう。だけどなんかね、「~しなければ」というのは違う気がしてならない。

 できるだけ自分が「これがいいな」と思ったものを組み合わせて生活に溶け込ませたいと、私はずっと感じているんだと思う。そしてなんだかんだ翻弄されつつも、結局そうしてきているんだと思う。

 先日、母が長いこと通っている整体をやめようかなって思う、と言っていた。やめちゃえばいいと思う。体に合うとか合わないとか、腕がいいとか悪いとか、そういうのとは別のところで、長年使い続けてきたものでも「なんか違うな」って思う時はあると思う。そういうとき、自分の感覚を信じられる人でありたい。

 塩鯖が難病だと分かった時、なんにも絶望的なことが起こってもいないのに、とても絶望的な気持ちになった。でも今こうして黒光りするほど塩鯖は元気で、二人そろって昼飯後に昼寝しちゃって「寝すぎた」と言ってるこの平和な休日が訪れるなんて想像もしなかった。塩鯖の病気は塩鯖だけのものではなく、私のものでもあって、いろいろコミコミで二人の人生は混じり合っている。そういうことを教えてくれたのがこの病気だった。この病気のおかげでいいこともたくさんあったぜよ、と言いたい。

 できることなら「適切な体重になるように体を整えたい」のだが、もしかすると私の適切な体重ってここらへんなのかも、と最近思えてきたからいけない。丸々してからは体力がついたようなんだよね、、、いやいや、ダメダメ、服が入らないからダメだって。体幹リセットダイエットなるものに挑戦します。問題は食事だな、やっぱり(糖質制限ってうどんの国では非常に難しい)。

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 こそっと書くけど、去年あたりから前世がシリウス星人とかアンタレス星人、あるいはレムリア紀やエジプト文明のころの記憶が云々というのが地味に流行っている。友人の一人がレムリアだったそうだが、ああ、ごめん私サードアイとか冷えピタ貼ってるから開かないわって通じないギャグを飛ばしたから去っていったのかもしれない。いずれにせよ私は今世の記憶もままならないときもあるぐらいだ。なんか壮大だけど大味。

 聖☆おにいさんブッダ曰く、輪廻は浪人だそうだ。(先日映画を見て塩鯖がハマっちゃった)