生きることは物語を作ること、をテーマに日々哲学するブログ

生きるとは自分の物語を創ること

日々のじだんだ ~見習いみかん農家二年目~

交通メモと長野2日目

 おはようございます。昨日は22時に帰ってきて、塩鯖を愛でてお土産を広げて塩鯖を愛でて愛でて愛でて、風呂入って寝た。疲れていた。

 ここで、今後のメモのためにおさらいしておく。うどん県から長野までの道のり。

 マリンライナーで岡山に渡り、岡山から新幹線に乗り継いで名古屋まで。岡山駅は乗り継ぎが比較的容易だが、新幹線のホームが2階なので混む時期は人混みを貫く勢いでエスカレーターに乗ったほうがいい。トイレは新幹線側より在来線側の方が空いているが、一番好いているのは新幹線の中。

 名古屋からは特急しなの。3時間の旅だが車内販売はなし。だから食べ物飲み物は調達しておいた方がいい。名古屋駅は乗り換えがすごく楽なので時間が短くても何とかなるだろう。私は3分ほどで移動できた。しなのにはトイレあり。

 長野駅倉敷駅みたいな感じ。地方都市の新しい駅、くらいのサイズ感なのでいろいろ便利そうだった。駅といえば松山駅、あの小ささ、古さは残しておいた方がいいんじゃないかってぐらいだろうなって思う。狭い小さいから分かりやすいけれど、趣がありすぎてきさらぎ駅と間違えそうだよ。

dic.pixiv.net

 交通メモはこのくらいにして、長野2日目のこと。2日目はこの合宿(リトリート)のメインイベント。占星術の云々のために行ったので、占星術のことをやる。といっても、占星術の知識ではない。知識は本でも学べるが、本では学べないものがあるから行ったのだ。

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さくっとホロスコープ作成

 これは私のホロスコープホロスコープは生年月日、生まれた時間、生まれた場所が分かれば簡単に出せる(昔は計算して手書きだったそうだ)。この不思議な円は、その人の人となりから人生が描かれていると言われている。また、今の星空の配置も出すことができ、それは今日一日だとか、これからのことが予想できるとされている。

 と聞くと、この記号なり線なりが明確な何かを示しているように感じるが、そうではない。これらはすべて象徴であるから、様々な解釈ができる。ネガティブにもポジティブにも、また都合がいいようにも解釈できる。この曖昧さが「科学」とは違うところで、だから信憑性というのはとても薄いのかもしれない、とも思う。けれど私は、文学のように、この象徴が示すものを自分で選んで自分で解釈して理解することで、その時々に必要な啓示みたいなものををもらえるような気がしている。ほら、ふとした瞬間に開いた小説の一節が、やけに心に響くように。

 で、2日目はこのホロスコープを人で再現するというワークだった。円を書き、12に分割し、天体のマーク(☉とか♂とか♄)に人が立ち、紙テープで線を表現する。すると、天体のマークが各々「ここは嫌だ、立っていたくない」とか「めちゃくちゃ楽しい!」とか「正面が見張ってる気がする」など、不思議と気分が変わってくるのだ。天体の意味や、サイン(星座)の意味など分からなくても。

 と聞いても、それ本当か? 気分の問題じゃないか? 場の空気に飲まれてるんじゃないか? と思うだろう。私はそう思っていた(どこまでも猜疑心が強い人)。けれどやったら違った。クールビューティーな私が、テンションアゲアゲだったり、悪霊に乗り移られたかってぐらい重くなったり、ほっこり気分になったりした。

 このワークには13人参加したので、13人分のホロスコープの再現をした。だからほぼほぼ出ずっぱりだったけれど、いろんな気持ちを体感できてとても面白かった。でも一番は、自分のホロスコープを再現してもらった時だろう。自分のホロスコープを再現したとき、当人はまんなかに立って体感するのだ。

 私のホロスコープを再現したとき、金星(♀)以外の天体が恐ろしく「無表情」だった。おいおい、そりゃないぜ、オレだって楽しいことは楽しいんだぞ……あ、金星が「楽しい」の象徴だ、金星だけが楽しい、なるほどなあ、って思った。私は自分ご褒美だけは死守している。いつからかな、ずっとかな。小学生時代の月刊誌「りぼん」、中学時代の月一の小説2冊、貧乏学生時代の給料日のココ壱番屋みたいな感じ(それ以外の日はバイト先の社食か60円のパン)。

 しかし、金星以外が見事に「しんどい、つまんない」って言ってて、ありゃりゃって思った。けれど、翌日になるのだけども、塩鯖のことを思うとダダーっと何もかもが動くようだ。確かに、私は塩鯖といるときが一番楽しいし、何もかもが活性化するし、ちょっと羽目を外しちゃおうかなとか、いたずらしちゃおうかなって思う。それ以外ではほとんどそう思わない。しっかりしなきゃとか、ちゃんとやらなきゃとか、真面目にしなきゃって思ってる。だから楽しそうじゃないのも分かるのだ。

 私のホロスコープの再現で天体役をやってくれた人たちには申し訳ない気もするが、家族以外の関係者から言われることが分かったような気持になった。一生懸命にも、楽しそうにも見えていないのは、「ちゃんとしよう」という気持ちの方が強いからだろうな。でもその「ちゃんとしよう」の手綱を引いているのは、土星(♄)であって、ただただ義務感で律しているんだろうって。

 なんでも平等に! とは思わないが、具体的に楽しい人としんどい人がいるのはいかんと思う。五体満足なくせに自由に四肢を動かせない私だが、せめて感情や感受性くらいは十分に使ってやりたいと思った。一人だけが頑張ってるなんて、可愛そうじゃない。土星、月、ごめんよ、ずっとしんどい思いをさせていたね。

 この天体はどんな意味があって、何を象徴しているのか、ということを、私は知識として知っている。自分で言うのもなんだが、知識としてきちんと知っているこについては自負がある。ただ、そうした感情や感覚は、私以外の人みんなが知っている。自分の喜怒哀楽から考え方や感じ方や、好きや嫌い。簡単に一直線でつながるものでもないから(例えば、悲しい思いをしたから、同じように見えた人に対して優しくできる「優しい」もあれば、嬉しくてしょうがないから人に優しくしたくなる「優しい」もあるわけで、感情だっていろんな起点がある)決めつけないほうがいい。ルールとか知識に縛られずに、自分がどう感じているのかを、感じていくことが、不感症人間から脱出する1つの方法だろう。

 そんなことを感じたワークショップだった。2日目の午後から初めて、夜遅くまで、そして次の日の朝6時から7時半までとびっちりこれをやってワークは終わった。本当に長かった。

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 これだけ星がどうのこうのと書いているが、占星術なんて眼中にない人が星の通りに、むしろ占星術を知ってる人以上に、その星の通りに生きていたりする。きっと、そういう人から見れば「占星術なんかにこだわるから自由にならんのだ」と思われるだろう。だけど、占星術に近づく人の何人かは、いや結構多くは、自分が嬉しいのか、自分が悲しいのか、自分の心はどう感じているのか、分からないから知りたいのだ。この心もとなさが辛いから占星術に頼ったりすがったりするんじゃなくて、自分のことが知りたいから、あるいは自信を持ちたいから、占星術に手を伸ばすのだと思う。

 というか、「これにお願いしたら勝手に何でも良くなります」的な、呪術的なものを期待する人だって少なくない。そういう人だってそりゃいるだろう、そういう文句で売ってるものもあるんだから。でも私は、逃げない占星術をやっていきたいなと思った。

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 ちなみに、塩鯖は星の通りに生きてるなと感じる。妹も、父も母も、だからきっと私も。でも人は自分のことしか分からないから、自分不器用だなって思うだろう。それぞれが、ぞれそれに不器用だなって思っていると感じたら、誰しもに優しくしたい、そう思う。