生きることは物語を作ること、をテーマに日々哲学するブログ

生きるとは自分の物語を創ること

日々のじだんだ ~見習いみかん農家二年目~

明日は帰省です

 おはようございます、何も書くことがない。珍しい。

 帰省を前に家族問題が浮上しているので、またかよと思いつつ、帰るタイミングで何事かおこるということは、私が何かせねばならないということなんだろうな、と勝手に使命感を持ったりしている。

 なぜかな、祖母が施設に入ってしばらくなのに、祖母のことで両親が揉め続けるのは。いやいや、分かっている。理由は十分に分かっている。

 許さない人は、いろいろ大変だと思う。許さないということは、その怒りの種をずっと握り続けるということ。私はそういう体力も忍耐力も持ち合わせていないので、あんまり「許さない」と思うことがない。

 けれど過去、こいつだけは死ぬまで許さないと決めたことがあるが、時間の経過とともに「どっちでもいいか」になっている。そうなるならば、あのとき「絶対に許さんぞ」なんて思わなくても良かったなって思う。

 未来で自分がどれだけ変わるのかなんて分からない。時は流れて人も物も変わってゆく。その中で、あのときのあの悔しさを思い出せとか、あのとき傷つけた相手を恨み続けることを自分に課してしまうと、時の流れとともに変わるはずだったものまで変わらずに残ってしまい、原因とか理由がなくなっても恨みつらみだけが残ってしまうことはあるんだと思う。

 そういうのが心の地縛霊なんだと思う。成仏のタイミングがなかったわけではない、自らが成仏を見送ったのだ。

 そしてその心の地縛霊は誰が生んだわけでもない、その人自身が生んだものなのだと思う。だから、成仏させるのは自分しかいない。誰かが思い通りに動いてくれないから、過去の自分がとても悔しかったから、もう元に戻らないものがあるからなど、いろんな理由で成仏を選ばないことはできるだろう。だけど残りの人生それに支配されて生きるのは果たして幸せだろうか。

 私はなんだかなあと思うことが続く日の中でも、楽しいことを探したい。家族で笑い合える出来事を共有しつつ、一日の終わりは家族の顔で終わりたい。願わくは翌日も楽しいことのひとつぐらいあってほしいと思うけれど、そこまでは望まない。なぜなら、夜が明けると明日は今日になり、また同じように楽しいことを探せばいいだけのことだから。

 相当気が滅入る部分もあり、でも塩鯖も一緒に帰ってくれるのだから今回の帰省は大丈夫かと思う部分もあり、いろいろが半々だけども、ひとまず明日は帰省です。