生きることは物語を作ること、をテーマに日々哲学するブログ

生きるとは自分の物語を創ること

日々のじだんだ ~見習いみかん農家二年目~

一週間!?

 油断すると日記も書かない体たらくです。おはようございます。

 もうね、朝ドラの愚痴しか出ない。特にこの時間は(8時半ごろ)。なら見なきゃいいじゃんっていう話なんですが、習慣化されているので見てしまうのよ。呪わしい。

 今朝の放送を見つつふわっと感じたのは、あーこれは90年代後半のトレンディドラマなんだっていうこと。愛という名のもとにとか。人が死ななきゃ頑張れないのかと、あの頃のヤングな私は思っていた。実際身近な人が死んだとき、人が死んだら到底頑張れないさと思った。もうね、頑張るのがバカバカしい、なんだ神様って、世界って、愛って友情って、全部クソだクソ、ぐらいに思っていた(で、傍若無人な乱暴者に変身したわけだが)。

 それは私の感性なのでこのドラマに求めるのは筋違いだと分かっているが、白々しい気持ちになってしまうのは否めない。早く新しいドラマ始まれ。

 そうそう、90年代後半と言えば私は思春期真っ只中。山口智子さんが憧れの女性No1だった。ドラマで演じる溌溂とした女性像もそうだけど、彼女の生き方そのものが憧れだったね。今でもそう、フラメンコに狂ってるあたりもかっこいい。ご主人と仲良しなのも素敵だ。

 だけど今の時代、彼女のようなタイプの女性がリーダーシップを取ることは難しいのだろうと思う。というか、引っ張りたくないだろうねと思う。なんかいろいろ面倒だもんなって感じるから。本当に、女性は多様化しすぎてまとまりがない。そもそもまとまる必要なんてないのだろうけど、あっちもこっちも気を使っていたら自由な発言なんてできやしない(子供を作らないから生産性がないなんてことを言うのは「気を使えない」のではなくて「無神経」なんだと思うけど)。

 そもそも女性の方があらゆることに敏感だ。これがいいと推したら「じゃあこっちは悪いの?」とか言う。めんどくさい。でも自分もそう感じる時があるから思考回路は分かる。男性よりもはるかに集団に属する意識が強い女性だからこそ、敏感に、、というか神経質になりやすいのかもしれないなあ。自分の中に尖った「じゃあさ」が生まれたときは、それぐらい帰属意識をもってたんだなっていうことだろうね。

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 魔法のお仕事を縮小することにしたら気持ちが楽になりすぎてびっくりする。そんなに負担だったのかい。でも、こっちを縮小するのなら別のこともやりたいよねーって気持ちもむくむくしている。いつだってそう、別もんになりたいのだ。