生きることは物語を作ること、をテーマに日々哲学するブログ

生きるとは自分の物語を創ること

日々のじだんだ ~見習いみかん農家一年目~

歩きっぱなしだった

 疲れた、腰が痛い、足も痛い。しょっぱなからこんな言葉で始まる日記はろくなもんじゃないと思っていいですよ。でも、一応の結論が出たからスッキリしてるなう。

 最近、迷子が多い。流行ってんのか、柴っぽい奴らの迷子。どいつもこいつも可愛いんだけどもー!! ということで、2か所連続ポスティングであった。行ったのは三豊市山本町





 田舎なので人はあんまりいない、だから遠慮なく写真も撮れるが、今日は屋根の修理をしていたおじさんに見られていた(調査か宗教と思われていた)。けれど、我ながら良くないっすかこれ良くないっすか。

 からの、かなくま餅さんだ。ちょう久しぶり~~~。死ぬほどうまい~~~。刻印入りの練り物はチーズ入り。餅はもちろんあんこ入り。最高。うん、もう今日は本当に頑張ったよ。

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 で、先日の愚痴の結論が出たような気がする。明白ではない。私はこういうことほど白黒つけたい嫌な奴だが、それでもほんのり味の結論に至った。おそらく縁が切れたであろうと。

 一応言っておくが、イライラする相手であっても嫌いな人ではない。怒ることはあっても嫌いな人ではない。嫌いは「嫌い」なのだ。2:6:2の法則だ。

 続きを書くと、追っかけ「何!?」と送ったら、スルーされるか(おそらく忙しそうだからと解釈して)、💦が送られてくるケースが多かったのである。

 ビビリさんなんだろう。相手のことを考えすぎて身動きできない風なのは、悪意ではない。けれど結局この場合だと、多忙かどうかを聞いてもいないのに「話をしないのは相手が忙しそうだから」と相手のせいにしているわけだ。悪意ではなくただのビビリ心で(そうか、勝手に疎遠になっていく心理がこれか)。

 疎遠になって忘れちゃったことがあるから(あるいは忘れられちゃったことがあるから)、疎遠になることが怖いのかもしれない。人を信用したいのに、裏切られる怖さの方が勝って信用できないのかもしれない。嫌われて痛かった記憶があるから、誰からも嫌われたくないと思っているのかもしれない。これらは、誰だって経験あることだろう。

 だからってやっぱりこれは良くないループ。そのビビリ心は相手に関係ないのだから。相手に託しているようで自分を守り続けている。これでは前に進めない。ずっと「何が言いたかったのか?」と聞いていたのだが、上手く会話にならなかった。

「酷い人だわぁ」「優しくないわぁ」と思う人もいるだろう。いてもいい。「幸せになりたい」というのならば、本当の自分らしさを取り戻して欲しいと思ってる、それだけなんです。