生きることは物語を作ること、をテーマに日々哲学するブログ

生きるとは自分の物語を創ること

日々のじだんだ ~見習いみかん農家4年目~

いろいろ雑多に

 おはようございます、今日は朝です。塩鯖が起きたらうどん食いに行きます。なんか夜中に「眠れない」的なことを言ってた気がするんだけど、私爆睡しちゃってるんだよねえ、夜って。

 譲渡会やポスティングに行くと、その日一日なにもできないほど疲れちゃうのでこまります。体力不足、これに限る。体力付けなきゃなーって、その言葉でおぼれるぐらいは吐いていると思うけど、鬼気迫ってないからやってない。けれどそろそろヤバイ。一日ワンミッションしかこなせないなんて、残りの人生を考えたら残念過ぎるやん私。

 というわけで、体力づくり始めたいと思います(やらんのかい!)。

 先週の譲渡会は地域の大きなイベントの一角で行われた。道路を一部封鎖しての歩行者天国、出店天国。私にとっては軽度の地獄。ホントもう、人が多いってだけでへとへとになるね。おそらく、人の流れに乗らずにいることが疲れさせるんだと思う。わーっと流れてしまえば楽なのかもって思う。たくさんの人たちが目の前を通り過ぎていくのを見ていると疲れるのではないか、というわけだ。実際、都会の駅で何本かの電車をやり過ごしていると、びっくりするほど疲れる(時間の経過はあっという間なんだけど)。可能な限り喫煙所に逃げたくなる(皆一様にタバコを摂取したいわけで、ごそごそ動く人は少ないのである)。けれど自分も「あの電車に乗るのだ!」とか「あの新幹線に飛び乗れ!」という状況だと疲れない。人を見ないからだろうな、と思う。

 ということは、人を追わねば疲れないということだ。なんだけど、なかなかできないね。たぶん慣れてないだけ、訓練だな。

 Facebookにボランティアメンバーさんが保護している犬の記事を投稿した。シェア数が尋常じゃない数になった。それは同じく香川県で活動されている有名ボランティアさんがシェアしてくれたからだし、うちのリーダーをタグ付けしたからだろう。拡散されて飼い主さんに繋がるのであれば、どうぞシェアしてくださいって思う。けれど見つからなければポスティングだ。これだけたくさんの反響があっても、きっとポスティングに行くのは1~2人(ここの数を増やしたい!!)、なんだかなあと思う。

 その記事に、まーまーハッキリ言って無意味なコメントがたくさんついた。私は親切な人ではないのでいちいち「ありがとうありがとう」とか書かない。コメントする人はコメントすることでスッキリしているはずだ。現に、迷子ちゃん出ました記事にたくさんのコメントがつくが、そのうち「その後どうなりましたか?」と聞いてくるのはごく少数。多くの人が記事を見た瞬間に同情する、怒りを表すことでスッキリしているということだろう。

 昨日、ゲームの実況を見ていたんだ。どうしても攻略できないとこがあってねえ。できれば効率よく攻略したいのよ私(無駄に効率厨)。そこで実況の兄ちゃんが言っていた。

「ヘビーユーザーも、デイリークエストしかしない人も、課金する人も課金しない人も、このゲームやってる全ての人たちがこのゲームのユーザー、このソシャゲを支えているわけ。だからその参加スタンスも自由だし、持ってる装備や課金の金額で優劣がつくもんじゃない(後半かなりあやふや)」

 正しい。私は微課金だが弱小である。自分のせいでクエスト失敗することもあれば、相手のミスで失敗することもある。いちいち怒ってたらソシャゲなんてできやしない。けれどいちいち怒って晒す人がいて、それで傷つく人がいて、そういうことに「一言いいたい」人はいて、そしてもっとたくさんの野次馬がいて、世界はこうして回っているのだねと思う。

 SNSの記事や拡散も同じ。現実よりも「一言申す」と野次馬が多くなるのがソーシャルの世界なのでしょうな。