生きることは物語を作ること、をテーマに日々哲学するブログ

生きるとは自分の物語を創ること

日々のじだんだ ~見習いみかん農家4年目~

気づけば愛護活動ばっかりの日々

 塩鯖と私、それぞれに愛媛と高知を行ったり来たり。不思議な2月です。

 みなさん、炎上してる記事って読みますか? ジャストなう、炎上中のFacebookの記事です。コメントが長いですが、THE炎上です。

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 そもそもはこのキャンペーン(※香川県に新設される動物愛護センターは大量殺処分の仕組みである、という訴え)が伝えていることは真実だと思う? っていうことなんですが、なんだか話がズレて「避妊去勢しない野犬に餌やりについて、賛同することが動物愛護なの?」みたいになっています。

 いや、そもそも新設される動物愛護センターが大量殺処分を前提に建設されるだなんて、普通考えないよね。私は相変わらず愛護活動してますが、殺処分を増やすために動物愛護センターができるとは思っていない。ある意味、悪意のある曲解だと思うから賛同しない、それが私の意見です。

 動物愛護がテーマになると過激な発言が多々見られるけれど、簡単にすると「何が何でも殺処分はゼロであるべき論」と「人と動物とが幸せに暮らせる未来を目指そう論」が相いれないという事かなと思う。私は後者、殺処分ゼロが叶えば、人と動物が幸せに暮らせる未来になるわけではないから、というのが理由。

 それは殺処分ゼロに近づいた自治体や、地域が既に問題定義している。

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 少々過激だとは思うが、私は、香川県の殺処分問題が改善されないのは、県民の意識が向いていないからだと思っている。保健所の職員が職権で殺処分しているのではないし、県知事が殺処分のスイッチを押すわけではない。政治は民意、多くの市民が、香川県は所有者不明の犬猫(野良ってことですが)の処分が全国でワースト1であることを認識し、どうにかしようと試みたら、殺処分は減少に転じると思う。

 一年以上ポスティングをしてきたが、必要なのは飼い主探しじゃなくて飼い方啓発なんだよな。放し飼い(放し散歩)×、犬の無届×、狂犬病の未接種×。書いてあまりにも残念ではあるが、せめてこれだけは守られてほしい。

 私が住んでいた島では、野良犬が自然発生することはなかったが(当たり前だ)、わざわざ都会から捨てに来る人がいた。私が知ってる限りでは2匹しかいなくて、そのうち一匹は非常に凶暴だったけれど自然淘汰され、もう一匹は近所の人がペットにした。ペットになった子はとても人に懐いていたので、野良でふらふらしてた頃は餌をやりたくて仕方なかった。しかし、母に「一時の同情で、飼うこともできないのに餌をやることは、本当にその犬にとって本当にいいことなの?」と言われ、泣く泣く見てるだけだった(飼ってくれたあのお家、ありがとう。そしてその後すぐにやってきた我が家の愛犬)。

 あの時私は、うちのお母さんは厳しすぎると思った。けれど今はとても理解できる。たぶんこういう経験をした人は多いのではないかと思う。

 しかし、動物愛護の世界では不思議なことに、これを実行している人や団体があって、半ばヒーロー化する傾向がある。個人的には理解し難いが、おそらく幼少期に私のような経験がないからか、あるいは私のような経験があって、それでも「やっぱり餌をやるべきだった」と思っているからだろう。

 正直に言うと、ちょっとだけ「ズルいなあ」という思いがある。けれど、やっぱり「だからっていいわけじゃないよなあ」とも思う。私も、いまだに正解が分からないところだ。分からないながら、やっぱり自分が面倒見れないのであれば、生き物を自己満足のために使ってはいけないと思う(ちなみに、餌をしっかりもらっている野良たちは、餌につられないので捕獲できず、自然繁殖する。どれだけ気を付けていようと、生命の目的は繁殖だから、避妊去勢していない以上は防げないのだ)。

 熱く書いたが、ここの読者に香川県民っていねーんだよなー(笑)