生きることは物語を作ること、をテーマに日々哲学するブログ

生きるとは自分の物語を創ること

日々のじだんだ ~見習いみかん農家一年目~

さもしさから、ブログタイトルに話が広がった

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 図書館ライトユーザーの私です。こんにちは。あー、いろいろ終わった!! 片付いた!! 気分はすっきり、部屋はごっちゃり。あるあるです。

 さて、図書館の貸し出しサービスの形状として、貯金通帳型というものが存在するらしい。3,4年前にも聞いたことがあったと思うけれど、実際に見たことがないから「へぇー」くらいにしか思っていなかった。

 私が小学生のころは、一人一人に図書カードがあるタイプだったが、中学校はほぼ貸し出ししない図書館(四六時中鍵がかかっていて、借りたい生徒が担当の先生を呼びにゆき、鍵を開けてもらい、先生に見張られている中で本を自らが返して借りるという、非常にやりにくいタイプ。ゆっくり選ぶこともできやしない)という普通じゃない感じで、本に図書カードが付いているタイプだったと思う。高校になるとフリーダムで常時開けっ放し、漫画も魔術書もあるような、自由過ぎる図書館だった。図書館にもいろいろある、ということを学んだ。

 それはさておき、市立なり県立なりの図書館の話だ。私は通帳型といっても本のタイトルと借りた日が印字されるぐらいだと思っていたが、本の定価が印字されるものがあるらしい。そのユーザーたちが「得した気分」と言っていて非常に複雑な気持ちになった。

 私はケチなので本でも映画でも値段以上の何かを求める(補償を求める)ところがあるけれど、だからこそ初めましての作家さんは5冊ぐらいまとめて図書館で借りることにしている。その人が何を書こうとしているのかを知りたいのだ。そして性に合わなければ3冊ぐらい読んで返すというパターンで今まで来た。中にはよくわからないけれど買ってみた、面白くなかった(ケッ、ペッ)というものもあるが、私の性に合わないだけで誰かの性には合うんだろうね、と思っておしまいだ。※嘘です。はるか昔はとてつもなく怒ったりもしていた気の短い私です。

 そういうメンタルの持ち主だから、損した得したの気持ちは分かると思っていたけど、なんかこう、これは違うなあって思った。だからちょっと考えた。そして分かった。「得だから読むのか? 得じゃなければ読まないのか?」と思ったから複雑な気持ちになったんだ。

 私は少なくともケッ、ペッと思う作家の本であっても、損したとは思わない。買ったとしても、悔しいと思うことはあっても(きっとそういうときは本屋のポップに踊らされて買うから)、損したとは思わない。なんかね、ここで損したと思うことそのものが、とてもさもしい*1ことのように感じるんだ。

 まあ、さもしいかさもしくないかなんて感性の自由なのでね、いいんだけど。たぶん私の中に「さもしい根性」があるからそう思ったんだろうね。

ロクス・ソルス (平凡社ライブラリー)

ロクス・ソルス (平凡社ライブラリー)

 故インタビューズで勧められて読んだ本の中で、唯一これだけは忘れたことがない。

 子供のころは、本に描かれる物語には起承転結と因果(原因と結果)関係があって、何事かは何事かへの伏線で、最後は何もかもが結びついて大団円を迎えるものだと思っていた。その結果がたとえ報われなくてもいい、着地地点があると思っていた。そのルールを打ち破った最初の作家ががサリンジャーだ。なんだこれ、落としどころないし、どうしてくれよう……! 読み終わった私は途方に暮れ、怒ったものだ。

 けれど物語に起承転結も因果関係も、必ずしも必要ではない。収束すればスッキリする、それだけだ。スッキリしたいのならばスッキリ系の推理小説を読めばいい。ということが分かったのは結構後のこと、たぶん30歳過ぎてからのことだ。

 ロクスソルスを読むころには、切れっぱしみたいな短編集もなんとなく読み遂げられるようになっていたけれど、それでもこれは衝撃的だった。シュールレアリスムキュビズムが文学になったらこんなのだろうな、と思った。つまらないわけじゃない、けれど誰にも勧めない。好きな人が読めばいいさ。

 物語について書いたのでついでにこれも書いておこう。

 私はこのブログのタイトルを「生きることは物語を描くこと」とした。このタイトルに変える前に読んでいたのはこの本。

生きるとは、自分の物語をつくること (新潮文庫)

生きるとは、自分の物語をつくること (新潮文庫)

 人にとって物語とは何ぞや、言葉って何ぞや、なんで人はわざわざしゃべるようになったんだろうか(悲しい誤解や、永遠に分かり合えないことが分かって絶望することもあるというのに)と思っていたころ、でもやっぱり私にとっては生きる上での物語って必要だと思っていたころだ。

 このころの私は「私が生きている、ただそれだけで物語が紡がれている」と思った。だからこのタイトルにした。けれど今は違う。今思うのは「私が私の物語を見つけた時、初めて私の運命の歯車が回りだす」ということだ。

 12月ごろに頭がおかしくなったような記事を書いた。ここの感覚とつながっている。
cimacox.hatenablog.com

 どれだけ人生に黒歴史があろうと、悔しくて2度と経験したくないことがあろうと、思い出すだけで辛い苦しいことがあろうと、すべて私の人生であり、今の自分の一部であることに納得がいったから、私は私の人生を歩けるようになったんだと思う。

 今までの私、存分に生きていたと思う。塩鯖と出会って、ちょっと引っ込み過ぎていたと思う。だから、もう一度存分に生きようと思った。生きてるだけで誰かに悪いなと思うことなんてない。楽しい方を選んで悪いことなんてない。

風雲児たち全20巻 完結セット (SPコミックス)

風雲児たち全20巻 完結セット (SPコミックス)

 私は本当に頭が固かったなあって思いつつ、これ読んでる。ギャグマンガの体でありながら字が多い。もちろん塩鯖チョイスです。

*1:《形》心がきたなくいやしい。あさましい。 「―根性」