生きることは物語を作ること、をテーマに日々哲学するブログ

生きるとは自分の物語を創ること

日々のじだんだ ~世界に狂った色彩を~

ちょっとバタバタしてた

 私の独身時代からのクセ? に、疲れを感じたら栄養ドリンクに手を伸ばすというのがある。今日はスーパーで無意識のうちにチョコラBB系のドリンクを手に取り、スーパーから出たところでグイっと飲み干し空き瓶を捨てて帰るということをしていた。近くでお子様が見ていらして、ああこんな大人になってはいけないよ、と思った。

 今朝のまんぷく(朝ドラ)で、娘っ子がレディなんとかと言っていた。当時流行った女性活動なわけですが、私はこういう言葉が大嫌いだ。というのも、男女雇用機会均等法の風を真正面に受けた年代で、徹夜も力仕事も「男女平等だろう」という押し付けに泣かされた女子だからだ。といっても、こういう活動はずーっと続いていて、今でもきっとどこかでは「男っていいよねえ、子育てもろくにせずに仕事仕事でさあ」とか「女っていいよなあ、月イチで超不機嫌で当たり散らしても当然な顔できてさ」なんて言ってるんだと思う。そうだ、男女でまったく同じになんてならない。人がいないときなら男子トイレに女子が入ってもさしたる問題にならないが、人がいないからと言って男子が女子のトイレに入ったらそこそこな問題になる。

 要するに、平等って同じじゃないってことだ。そもそもが不平等な世界だから、平等に価値があるように感じるだけだ。実際にキツキツに平等にする世界があるのなら、そこはオーウェル並みの監視社会だと思う。それぞれに適性があり、それは性別だけでは区別できないということだ。まぁ、それも言える時代になったから発言でき支持されたのであって、言えない時代は苦労をした人がたくさんいるということだけど。

 あれ、なんの話だっけ。そうそう、ちょっと疲労がたまってる感じなんですよ、私。あービタミンBが沁みるわぁ。

 さて。

 そろそろ瀬戸芸のシーズンなわけだが、今年はガイドブックができあがるのがすごく遅い。はっきり言って間に合ってない。何やってんだよ、遊んでたのかよ、と憎まれ口でも叩きたくなるほどである。特に今年はゴールデンウイークが10連休もあるので、できるだけ早く予定を立てておきたいというのに。

 と、文句を言っても発売日は早まらない。だからAmazonで予約だけはしておいた。今年も旅友と参戦です。

 さてさて。愛護の話。でも愛護以外のところの話も。

 個人的には、思想が違う人は公式的な認可与えなくてもいいんじゃないかと思う。そうすることが、自由を奪うというのなら、県としての思想の自由はないのかな。漠然とみんながみんな「平和で戦争のない世界がいい」と思っているけれど、世の中そうではない人もいるから戦争がなくならないわけで、それは情報操作でも陰謀でもなくて、ただ単に、人の心には光もあれば闇もあるということだと思うんだけどな。

バットマン (字幕版)

バットマン (字幕版)

 塩鯖が「どれだけ自分にとって不都合(私の場合、無責任な餌やりや過剰な殺処分ゼロ運動)を排除したって、そういうのは湧き続ける、ずっと排除することなんてできない。なぜならそれが自由だから」と言った言葉が、とても響くなあ、と思う。

 そう、私が不愉快だから、不都合だからといって、異なる意見を排除することはできないんだ。いつだって私は正しいわけではないもの。それに、正しさだけで世の中の問題が解決していたらとっくに世界は平和で平等が訪れている。原則や原理や根本や概念はあくまで抽象的なものだ。法律化やルール化の過程で細分化され、ややこしくなるんだと思う。

 時々、人はアホになったのかと思う。同時に、自分もアホになったかも、と思う。凝り固まってはいけないね。

 最近、30代の初めにもやもやしていたことがどんどん晴れてきて嬉しい。原因はもっと根本的なところ(30代前半に生まれた問題ではなくて、もっと前からあったこと、という意味で)だったけど、今になってクリアになってゆくというのはいい体験だ。長生きしてよかったと思う。残りの40年が気持ちよく過ごせそうな気さえしてくる。