生きることは物語を作ること、をテーマに日々哲学するブログ

生きるとは自分の物語を創ること

日々のじだんだ ~世界に狂った色彩を~

「違うこと」をしないこと

「違うこと」をしないこと

「違うこと」をしないこと

 対談はプリミ恥部さん、CHIEさん。スピリチュアル=宗教=キモいという公式を信じていて、拒絶反応が出るならこの本は勧めない。私もこの公式を信じてはいるけれど、でもやっぱり読んでしまう。なぜかっていうと、見える世界があって、見えない世界があって、初めて現実が作られていると思ってるから。宗教とスピリチュアルが合体するのも、要するにどちらも見えない世界の話をしているからであって、信じるか信じないかは好き好きだと思う。でも、見えない世界だからこそガセネタも詐欺もあって、疑う人もたくさんいるようになったんだと思う。疑いながらも「でも見えるものだけで世界はできていないしな」という思いが、大なり小なり胡散臭いと思わせるんじゃないかな。いっそ片方しかないって言いきれば、胡散臭いもなにもないでしょ。

 さてこの本に書かれているのは、延々と「違うこと」をしないこと、だ。ちょっとした心の違和感にちゃんと反応していこうね、というもの。食べたくもないカレーを食べたから体調を崩すとか、タイミングがずれるとか。これがなぜ大事かというと、自分の快・不快をきちんとキャッチすることこそ、自分を知ることだからだ。なんか好きじゃない、いいのだそれで。理由なんてなんでもいい。空気悪くなるからなとか、あの人が好きだって言ってたからなとか、自分を鈍らせる判断でしかないということだ。というと、思いやりはどこに行くのだという人がいるが、本気で思いやりを発動させたらいなら大いにやればいいじゃないか。大義もくそもいらんのだ。

 そういえば、旅友が言ってた。下心があるとダメだよねって。ばななさんはスケベ心と表現するが同じものだろう。下心、スケベ心って、これを買うとこの厄介ごとが消えると思って買うとか、こうするとあの人が喜ぶと思ってするとか、そういうこと。一昔前なら「借金してでもセミナーに来い」とかね。怖いよホント。

 時間は過去から未来じゃなくて、未来から過去に向かって流れているんだという話も興味深かった。未来の自分のための純粋な行為であれば、それは実現するということだと思う。感心したので塩鯖に言ったら「そんな小難しく考えること自体わからん」と一蹴されたけれど。そう、いつだってそう。塩鯖はとてつもなくスピリチュアルなことを言う割に、人のスピリチュアルには一切の興味も示さない。旅友も一切の興味を示さない。私の周りの大好きな人ほど、そういうスタンスなのでけっこう私は孤独なんですよ。

 最近私がよく考えるのは、生まれてきて死ぬまでの人生のこと。一方通行ではないんだろうなってこと。水が高いところから低いところに流れるように、一方通行ならば差が生まれる。だけど循環していたら差は生まれない。この水を「剰余」といったのがこの本で、それがとても分かりやすかったので購入した。手元にある本が終わったらこれを読む。

 いつぞや哲学カフェに参加したとき、そもそも人が繁栄すべきではなかったんだ、というご意見、私は違うと思っている。戦争はあった。けれど人は生きている。これが現実だ。~すべきではなかった。そう表現する時点で過ぎてしまった変えようのない過去のことだ。そんなことを嘆く暇があるなら、過去の悲惨な世界を二度と繰り返さないように今自分ができることを探したほうがいい。どんなに小さなことでも。