生きることは物語を作ること、をテーマに日々哲学するブログ

生きるとは自分の物語を創ること

日々のじだんだ ~世界に狂った色彩を~

僕らは奇跡でできている

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 体調の不安定さと塩鯖の連休ということで、ドラマ一気見。このドラマすごくよかった。

動物行動学を教える大学教授・相河一輝(高橋一生)は、時に人を困らせたり、苛立たせる変わり者。そんな彼の常識や固定概念にとらわれない言動と彼を取り巻く個性豊かな登場人物たちのやり取りが観ているものの心を揺さぶるコミカル・ハートフルドラマ。

 まぁざっくりこの通り。主人公の相河一輝は、いわゆる発達障害なのだろうと思う。けれど劇中で発達障害と明確に表現されることはない。ちょっと変わった人として物語は進んでゆく。それが良い意味で生かされていたと思う。

 ドラマの終盤、要潤くんが演じる先輩の教授が相河くんに言う。

相河先生みたいになれたら幸せだよね。
学力があって、できないことがあっても支えてくれる人がいて。
好きなことだけやってられて。

子供はさ、キラキラした大人に憧れるけど、キラキラした大人なんて、ほんの一握りしかなれない。

なのに学生たちも、相河先生みたいになりたがってる。
なれなかったらどうすんの? 責任とれんの?

相河先生はさ、ここだからいられるんだよ。よそじゃやっていけない。
それわかってる? わかってるなら、人生の成功者みたいな顔して、学生たちを勘違いさせないでほしい。

 このセリフは本当に辛い。夢を、いや自由をあきらめたことがある大人には響くんじゃないかなと思う。本当はこんなこと言いたくはない、けれど相河くんが放つ無垢な光に追い詰められてしまうのだ。自分が諦めたものを全部持っている人に、嫉妬しない人なんていないと思うから。

 相河くんの人生が、人よりも楽だとか、苦しいとか、誰にも決められない。苦労があるとかないとかも、誰にも決められない。同じように、私たちは誰も人生にも口出しなんてできないし、口指しされるべきでもないと思う。だけど、自分の人生だけは自由にすることができる。これは誰にも邪魔されるものではないはずだ。

 それなのに、私たちは見えない枠のなかで生きようとしてしまう。「ちゃんとした大人にならなければ」とか「ちゃんとした母親にならなければ」とかね。なんだその「ちゃんとした〇〇」ってと思う。けれど私ぐらいの年齢(40代ぐらい)の人は思ったことがあるはずだ。おお、これがゆとりか、個性は素晴らしいで肯定されて成長した、我慢も反省も工夫もできない世代かって。やりたくもないのに、ちゃんとしてきたって自負がある人たちは、自分がイヤイヤしてきたことをしなくていい年代を見て、普通に心がざわつくんだと思う。

 発達障害とか、ADHDとか、学習障害とか、実際あんまり関係ないのだろうなと思う。あれも個性だとしてしまえば、いろんなことが楽になるだろうにと思う。席についていられないのも、黒板の文字が書き写せないのも、テストの問題が最後まで読み切れないのも、自分の感情をコントロールできないのも。そんなことでは学級崩壊だ、授業にならないなんて声が上がるだろうが、もうそろそろ戦後のスタイルを本当にやめちゃっていいんだと思うんだよね。学校に行きたくても来られない子(宿題が嫌で逃げたガキではなくてな)はオンライン授業でもいいと思うし、苦手なことがある子はデジタル機器も使ってなんとかクリアしていっていいんじゃないかな。

 努力とか我慢が一切いらないと言いたいわけではないのよ。目標のために努力したり我慢したりすることは絶対に必要よ。だけど、それが自分のためなのかどうかってことを、ちゃんと見極める必要があると思う。もう自分には嘘が付けない時代が来ているんだと思う。

 小学校や中学校っていう場所の本来の姿は、読み書き演算ができるようになることと、いろんな人間がいることと、自分のいろんな面を知るためにあるんだと思う。決して、出来を競うためでも、組体操で親を感動させるためでもない。ましてや、将来いい大学に行って安定した仕事に就くためでもない。そういう思惑がすべてうまくいったとしても、その子が一生悩むことなく生きていくことは、きっとない。その子が人生で一度も転ぶことなく、痛い思いをすることなく、生きることなんてまずできない。

 だったら、怪我して泣きながらにでも、帰ってくるうちになりたいなと思う。泣いてもいい、怒ってもいい、落ち込んでもいい。その人が、その人であり続けられる場所になりたいもんだなと思う。