生きることは物語を作ること、をテーマに日々哲学するブログ

生きるとは自分の物語を創ること

日々のじだんだ ~見習いみかん農家一年目~

光回線と引っ越し片付けと、緊急事態。

生きることは、自分の物語をつくることだ。
だから記す、取るに足らない、かけがえのない日々を。
光回線と引越し片付けと、緊急事態。 - 日々のじだんだ - Radiotalk(ラジオトーク)

 こんにちは、今日は洗濯機の取り付けやら、光回線の開通やら、水漏れ箇所の整備やらで片づけが進んだような、進んでないような1日。服は絶望しながらなんとか片付きつつある、と思いたい。

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 ツイッターで服の整理が苦手だとつぶやいたら、吊るせばいいというアドバイスをいただいた。そうだ、独り暮らしのころは下着とババシャツ、ハンカチ以外は吊るしていた。今もそうすればいいのだ! とひらめいた気持ちになったが、山に着て行く作業着があるのだ。こいつらはどうしたらいいのだ。吊るすのか、かさばるこいつを吊るすのか? 

 一応前職はオシャレな洋服屋さんで働いていたので、セットアップの吊るし方などは見て覚えている。だけども、あれはハンガーが山盛りある人向けだよ……。うちもハンガーは山盛りあったように思っていたのだが、1/3はクリーニング店のプラハンガーだったのだ。あれを全て返却した今、アクティブなハンガーはそれほど多くもない……。そもそも、スーツやら礼服やらがでかいのだ。奴らを別に保管する方法がないものだろうか。

 まぁ、考えも仕方ないことは考えない。ハンガーで吊るすか、なぜか家中にあるひっかけ釘に服をひっかけてしまうかだ。

 それでも片付かないものはある。靴下、下着、ハンカチ、タオル、パジャマ。このうち、下着は所定の場所に入れておかねば塩鯖が真っ裸でパンツを探すことになるため、脱衣所に所定の場所を作った。タオルも同じ場所に置くことにした。まだタオル類は発掘される可能性が否めないが、まだ余力はある。

 私だけのものならば、最悪捨てればいいと思うんだ。だって入らない服もまだあるし(捨てますとも)。しかしあまりに捨てすぎると、作業服以外の服がなくなる。と、ここまで書いて、なんか服に対して間違った認識でいるような気がしてきた。服って消耗品だよね。なぜ私は10年以上前の服を後生大事に持っているんだろう……。パンツも限界まではこうとするんだろう……。

 たぶん相当疲れているんだと思う。1日ぐらい休んでもいいんじゃないかという気がしてきた。

 話は変わって、世は緊急事態である。個人的には、1月の時点でWHOはパンデミックを発令してもよかったし、日本も2月の時点で緊急事態と言ってもよかったと思う。パンデミックや緊急事態という言葉を受けてパニックを避けた方向もあるのだろうけど、どのみちパニックになって買い占めに走っている人たちは存在する。

 テレビを見ているとそんなことを思うが、ネットを見ると少し違う。こんな状況だからこそ、それぞれに自宅でできる日常の楽しみ方や、手作りのあれこれなどがたくさん並んでいる。慌ててスーパーに行くのは最も危険だからみんな落ち着いて行動しようという趣旨をあちこちで見かける。

 いろんな人がいる。慌てる人もいて、慌てない人もいて、たぶん大半の人間は生き残る。

 インフルエンザも毎年かなりの数の人が罹患する。予防接種をしたからといって罹患しないわけでもない。そして毎年亡くなる人がいる。だけどそれほど怖がられないウイルスとなった。新型コロナウイルスもきっとそういう道をたどるんじゃないかと思う。だからアフターコロナはなくて、withコロナの世界になるんだろう。

 インフルエンザと違うのは、このウイルスをきっかけに世界が「もう戻れない」場所に来たということだと思う。外出時にマスクをする人は増える。公共の場には消毒が置かれるようになる(今でもあったけど、もっと増える)。学校に行かない子供も増えるかもしれない。会社員も減るかもしれない。

 なにより「違う」のは、個人の判断の範囲の広さだ。国にお伺いを立てたところで、法律に違反していなければなんだっていいんだ、この国は。それは良くもあり、悪くもある。そういう意味で、日本はとても自由だと思う。法律より、政治家より、自由を奪っているのはごくごく一般的な「私たち」だ。そのことを今一度頭に叩き込んでおきたい。

 愛媛県で初めての感染者の方は、その町に住めなくなってしまったと聞いた。あくまで噂話だけども、でもあの小さな町で、勤め先の名前まで出てしまったら、どこの誰だか特定されてしまう。まるで悪者のような扱いだ。事実、そんな小さな過疎地にウイルスを持ち込んだことは軽率だったと言わざるを得ない。だけど追放されるほどのことだろうか。

 彼女を追放したのは法律でも政治家でも国でもない。ごくごく一般的な「私たち」だ。