一週間の見習い農家生活
おはようございます。みかん農家見習いの日々です。といっても、まだ駆け出し一週間くらいなのでペースが全くつかめません。
農家というと晴耕雨読がイメージされる人も多いだろうけど、全くその通りというわけでもなく、おおむねその通りともいえる。雨の日は雨の日でやることがあり、晴れてても畑に行かない日もある。自営業経験者ならば分かるだろうけど、仕事しなきゃ「休み」だし、仕事してりゃ「休みなし」なのだ。それに、年に何度も収穫がある野菜農家と、年に一度しかない農家は全く違うんじゃないかと思う。
一日のスケジュールは、朝から仕事ならば7時ぐらいからスタート。昼休憩は2時間。パンパンに仕事をしても夕方5時ごろには終わる。私たちができることは限られているので、役に立たないこともある。そんな時はお休みだったり、プロ農家(両親)をストーキングしたりする。
今日のお仕事は畑に肥料をまく仕事。10キロを肩にかけて畑を練り歩いた。その前は一日中収穫のお仕事。そしてJAの産直に出す商品の袋詰め。実にいろんなお仕事がある。
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たった一週間しか農業に携わっていないが、本当に「暮らし=仕事」なのだと思った。決められた出勤時間や退勤時間はない。だけど、今の私たちは見習いなので、プロ農家に倣ってばかりだけども、まずはそうしたいなと思ってるんだよね。私自身、すごく生意気なタイプで「こうすりゃいいじゃん」とかすぐ言いがちなんだけど、今回はそれを封印して「まずは習い、倣う」で行こうと思う。
今までの会社員勤めとは全く違う、だけど違わない。とっても不思議な感じだ。うまく言葉にできるまで、これは寝かせておこう。
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国民に10万ばらまく政策が話題に上っている。正直なところ、個人的には「もうどっちでもいい。あなた方を当てにはしない」なのだけど、そうも言い切れない人がいるだろう。
昨夜、id:t_kato さんとツイッターでやり取りしたときにも話したのだけど、松山市内に一人暮らししているときは、インフルエンザに罹患しただけでも本気で遺書を書こうかと思ったことがある。孤独死のリスクが高すぎるのだ。
だって仕事に行って、帰ってくるだけの生活だもの。定期的にスーパーは行くけど、いつも現れる火曜日と木曜日に独身女性一人がスーパーに来なくなったところで誰も気づかない。職場の人は異変に気付くかもしれないが、プライベートにざっくり立ち入ってくることもないだろうから、数日はそのままになるだろう。離れて暮らす家族は電話に出ないから気づきようがない(私はかなりの率で電話に出る方だったけれど、それでも仕事中はめったに電話に出なかったしな)。
そういうわけで、地方都市でコツコツ働くだけの人たちの孤独や不安は半端ないと思う。ぶっちゃけね、私が独身だったころ「今ここで私が死んだとしたら」って何度も考えたんだよね。死体処理のこととか、遺品処理のこととかもね。誰もに迷惑をかけずに死ぬのなんて無理だと思った。
だからさ、家族や友人たちと、連絡を取り合っておこう。SNSで生きてるって発信をしよう。みんな死ぬな。生きろ。
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前回の日記で、コロナ差別を受けた人のことについて、けっこうきつめの口調で書いたけれど、今もその思いは変わらない。だけど、今日一言いいたいのは、あれにしろ、あれじゃないにしろ、私は誰かを批判したいわけじゃないんだってこと。
だってしょうがないじゃない。人間が抗体を持たないウイルスが発生してるんだよ。
しかしながら政府の対応を見ていると、心底「日本国民の大半がどんな暮らしをしているのか知らない裕福な人たちが政治をしていたんだな」と思わざるを得ない。だが、彼らを選んだのは私たちだ。だから必ず選挙に行こう。
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いつだって陰謀論ははびこるけれど、陰謀だろうと陰謀でなかろうと、私ができることには限界があって、できることしかできないのだ。だからいつだって、できることをちゃんとやろうと思った。昔みたいに「効果あるかどうかわかんないけど」とか「結果がついてこないかも」と理由をつけてやらないのではなくて、やるんだって。
辻仁成の小説ってキザなロマンで気持ち悪いと思ってから読んでいなかったけど、これは良かった。というか、父親としての彼の言葉はけっこう唸るものが多い(っていうのは id:msyblog さんとのやり取りで「そうだそうだ」と思ったことだけど)。あの人、なんつーか突然ピュアだからびっくりするよな。
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それよか私が考えねばならないのは、確定申告時に使うことになる領収書の片づけ方法を模索することだ。とりあえず、一番簡単にできそうな「封筒を分けて保存する」方法で行こう。いやもうマジでこういうの苦手なんだよなあ。