生きることは物語を作ること、をテーマに日々哲学するブログ

生きるとは自分の物語を創ること

日々のじだんだ ~見習いみかん農家一年目~

明るくなくていいんだよ

 おはようございます。今日も私はお休み。っていうか、仕事は休みじゃないんだけど、私は出番が少ないので自宅待機です。でもこれ書いたら倉庫に行こうと思ってる。

 今やってるのは、収穫したみかんの選別。農協に出荷するには選別しなければならない。正しくは、出荷に合わせて収穫と選別をしているわけだ。

 ネットで見かける情報では、農協に批判的な意見を持っている人も少なくないようだけど、うちは基本的に農協に出荷するのがメイン。だって地域の農業を活性化させようと思ったら、農協との協力は欠かせないと思うからね。

 さて、今日のタイトル。これは農業新聞に掲載されていた言葉。あるコンサルさんがこう言っていた。

 今の日本は、阪神大震災があり、東日本大震災があり、そのほか台風などの自然災害があってのコロナ禍だ。だからか、「明るい話をしてほしい」と頼まれることがあるそうだ。

 その気持ちもすごく分かる。だけどポジティブな話ばかりを聞いて、ネガティブな面を見ず、顔を上げよう、明るく行こうというのは、なかなか頷けない人も多いのではないかと思う。

 私自身そうだ。むしろ落ち込むだけ落ち込んで、絶望して初めて前を向ける。例えば過去の失恋なんかまさにそうで、何カ月もかかって「まぁ、仕方なかったよなあ」と思えてからが復活だった。途中何度か「忘れよう」とか「気を取り直そう」と心がけたが、やっぱり落ち込むところまで落ち込まないと、すぐに下り坂に転落してしまうのだった。

 私のちゃちな失恋とコロナ禍が同じだとは思わないが、個人レベルで起こっているのは似たようなものだと思っている(かなり暴力的なたとえだけどさ)。

 人は思い通りにできないときに、とてもストレスを感じる。うまくいかないと感じる。

 せっかく築いた自分のペースの生活が、たとえそれがベストでなかったとしても、外的な要因で崩されるのはとてもストレスだと思う。だけど、受け入れるしかないことが、人生には多いんだ。

 だからといって「自分のペース」を諦める必要なんてない。新しい自分のペースを築けばいい。それだけだ。

 でも、その前に一度「くそー、すっごく頑張って自分のペースを築いたのにー!」と怒って、落ち込んで、不安を感じて、途方に暮れてもいいって話。途方に暮れようと暮れまいと、明日は来る。だから「もーしょーがねーなー、仕切り直すか!」と気分が前向きに変わるのを待つのが大事だと思うんだよね、っていう話。

 客観的に見るということは、物事を主観を交えず見るということだ。それは、いい面と悪い面のどちらも認めるということだ。

 一人暮らししてたころ、私は「人生なんてなんにも思い通りにいきやしない」と思っていた。派遣社員なんて吹けば飛ぶような立場で、ボーナスもなくて、仕事辞めたら生きていけない、なんて窮屈なんだって。でも、よくよく考えれば技術があったおかげでメシに困らず、健康であるおかげで仕事にも行けて、時々ご褒美旅行が行けるぐらいに普通の暮らしができていた。束縛する家族もおらず、夜更かしも早起きも好きにできて、かなり好き勝手、思い通りに生きていた。

 過ぎてしまえば分かること、いい面と悪い面というのは、こういうことだ。

 過去に対しては、いや、過大な感情と切り離して見れるようになった過去に対しては、比較的やりやすいことだろう。これを、今の状態に対してもできるようになったら、袋小路のような現状に道が見えるようになる。

 明るさだけを求めても、必ず行き詰まる。そこにある現実、事実を見る勇気が必要だ。それが今だ。

 みんな頑張って乗り越えていこうね。

 ちなみに、占星術的に未来を見ると、2020年の1月ごろは変革期だったわけだけど(まさかウイルスとは気づけなかったけどね)、2021年の初めごろに大きな変革期がまた起こると思う。そして落ち着くのは2023年頃だと思う。より身軽に、ニュートラルに、柔軟に、自分を暮らしに合わせて変えられる身軽さがあったほうが、この大波を楽しめるだろうと思う。