生きることは物語を作ること、をテーマに日々哲学するブログ

生きるとは自分の物語を創ること

日々のじだんだ ~見習いみかん農家一年目~

早朝にごぞごぞしはじめました

 夜は寝るんですよ。おはようございます。

 昨日は今年最後のカラマンダリンの出荷。108個梱包して出してきました。本当にこれがびっくりするほど売れるのだから、知ってる人は知っている美味しさなんだろうなあ。ちなみに800gで250円。おおよそ10~13個入り。
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 運命論という言葉を聞いて、胡散臭いなあと思った私です。だって運命やら宿命やらで人生が決まっているなら、失敗したりあがいたりすることって意味ないじゃんと思うじゃない。

 実際のところは、たとえそうであったとしてもゴールが見えないんだから、毎日ただ一生懸命に生きる、それだけが人間にできることなんだよね。

 因果とは、原因と結果ということ。行動や判断や物事に付きまとうものだけど、決してそれだけで片付かないのが現実であり、だけど因果を知るってことは世の理を知るってことでもあり。だから行動に目的があり、かつ省みる人は変わってゆくけれど、そうしない人は(別にそれが悪いってことじゃない。だいたい、何事にも目的を定めてやる人の方が少ないだろう)偶然という奇跡に助けられて変わる場合もあり、変わらない場合もある。

 それは運命的に決まっているとかそうじゃないという話ではなくて、そういうもんなんだよってこと。

 昨日母と話していたこと(防除という作業中)、そして塩鯖も言ってたこと。「ここは常識が通用しない場所」確かにそうかもしれない。というか、人が少ないから余計に妙な凝縮が起こっているような感じはする。

 例えば、嘘をついてまで人を貶めてはならない。ということを知らない人はいない。だけどそういうことを平気でする人(もちろん大人だ!)はいて、それが嘘だと分かりながらも血族だからと嘘を本当にしようとしちゃう人が何人もいて、それで血祭りに上がった人は汚名(多くは「狡(ずる)い人」「ズルい人」「欲(よく)い人=欲張りで欲しがる人」が不名誉なこととされる)を着せられる。

 これが無関係の人がもっとたくさんいるような場所であれば、きっとそんなことにはならない。しかし狭いコミューンだと起こりうる。

 そういう人って、たぶんすっごく他人のことばっかり見てるんだよね。他人を見て「あいつはああいう狡い人間だ」ということで(今風に言えばマウントをとることで)自分を保っているわけだ。いや、もしかしたら暴露することが勇気のしるしで社会的に粛清しようとしている正義の味方かもしれない。いずれにしても、勝手にやってろである。

 といっても、私も矛先を向けられたらいやだろうなあ。

 ツイッター内では正義の粛清がたくさん行われているけど、粛清屋さんたちもここで暮らして矛先を向けられてみたらいい。実に生きにくい世界になるってことが体感できるから。しかもそれが、だいたい「妄想のたまもの」であって、事実無根だから。一字一句、一挙手一投足ぴったりでなくても、大筋でやってることが同じなら、こういうのは「同じ」カウントだからな。

 昨日は塩鯖が久しぶりに魚を調達してきた。この島はなんでもとれる、なんでもそろう。だけど捕れねばありつけない、それが魚だ。もちろん、捕れない種類の魚もいるから、そういうのは買うんだけどね。

 久しぶりに捌いてたら、魚が死んでなくてひぃーーー!! となった。前の塩鯖はそれ以前に触るのも嫌だって言ってたけど、今の塩鯖は「魚に飢えているがために」神経締めも内蔵出しも厭わない。素晴らしい、三大欲求。

 欲求ついでに書いておくと、肉体労働をし始めてからベッドが狭い。大人二人がセミダブル、眠れなくもない広さだし、今まで5年以上それで寝てたのに、今になって途端に窮屈になった。だからクイーンサイズのベッドが欲しい。いやマジで。6畳の部屋がベッドだけになるけどそれでもいい。

 色がきれいなサラダです。味が濃いのでサラダというには多少語弊があるような気はしている。でも、トマトがいい感じにさっぱりさせてくれるよ。
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