中秋の名月ですなぁ。
— ふるのさん@愛媛のみかん農家 (@furuno_san) October 1, 2020
波の音とともにどうぞー。 pic.twitter.com/JbnNcOLXMn
中秋の名月をどうぞ~私はこの日、20時に寝たよ。こんばんは。いつも早く寝ています。今日だって本当はもう寝たい。
なんだかんだと、忙しいような忙しくないような日々を送っています。祖母の葬式から、一度香川に戻ったりもしたし、極早生の収穫と出荷をしたし、家の改装が始まったし、ということは我々がこの家に住むのもあと1か月もないってこと。あああ、海のそばで暮らすの楽しかったなあ。徒歩1分で海って便利だったなあ。今度からは徒歩5分ぐらいで海だけども、道中街灯がなさ過ぎて危険なのだよ。いやマジで。
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いろいろ考えていたことがあったんだけど、日々の中に埋没してしまっているような気がする。でも埋没する程度のことならいいかなって思う。だからね、今真っ白な状態でこの画面に向かっているのよ。
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みなさん、みかんの種類をいくつ言えるだろうか。温州みかんにも品種があることをご存じだろうか。個人的には、あまりにもざっくり「みかん」と認識されているような気がしている。なんかこう、雑な感じよ。スーパーで「みかん」札で売られてそうな感じ。
だからって細かく品種を覚えてほしいわけではない。じゃあ何を言いたいかっていうと「お気に入りのみかんを知っとくといいぜ」ってこと。
うちの極早生は「はつひめ」という品種でね、これは青くても酸抜けがいいから甘い極早生みかん。このほかに、日南の姫とかゆら早生などさまざまある。これ分かりやすかった。はつひめが載ってないけど。
この一覧にあるのがいわゆる「温州みかん」なわけで、そりゃひとくくりにされたら「ちょっと雑よね」って思うでしょう? 思わんか。
まぁ、そんな感じでいろんな種類があるということを知られていないのは、消費者にしてみればもったいないし、生産者にしてみれば惜しいなと思う。惜しい、とも違うんだけど。言い表しようがない「残念感」がある。
だからぼちぼちペースにはなるけれど、いろんな種類があるよって伝えていきたいなと思う。
初めて食べたゆら早生は本当においしかったよ。でもうちの「はつひめ」もうまいよ。総じて、極早生は青くても美味いんだよ。だから食べたことない人、食べてみてよ!
※うちの「はつひめ」は松山市にある太陽市に出しています。今のところ、70袋が1日で完売している勢い。「美味しい」を知ってる人の貪欲さはすごい。
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最近気づいたこと。けっこうね、親の言いつけを守っている人が多いんだよね。そりゃ言いつけは守った方がいいよ。きっと私らのために言ってくれたことだから。でも、もう賞味期限が切れてたり、勘違いしてたりもあると思う。
人生でさあ、もう終わりだ道がないって思うときって、たとえ道があったとしても「その道は選んじゃいけない」って選べないことにしてるだけだってこと多いよね。選んじゃいけない道が多ければ多いほど、袋小路や行き止まりに遭いやすくって、なんてついてない人生なんだ、生きるのって辛いなあって思うと思うんだけど、それ自体が勘違いっていうか、親の言いつけっていう呪いがそうさせてるだけってことも、往々にしてあると思うんだよね。
吉本隆明さんは「盗んだっていい」って書いてたこともあった。普通ダメって言うよね。でも生きるためならいいって。生きてなきゃ意味がないから、盗まず尊く死んだところで、終わっちゃうわけだからさ、その人の人生。生きなきゃ何にも始まらないってことだと思うんだよね。そこが大事なところ、最優先のところだから、そこをずらしちゃいけないよって言ってたんだと思う。
で、親の呪い(愛ある言いつけ)に戻るんだけど、たぶん親から言われたことでずっと心に残っていることって、親自体も若かったころだと思うんだよね。例えば20代とか、30代とか。子供のころの30代ってすごい大人だけど、実際30代になったら「え、こんなもんなの?」ぐらいのものなんだよ。それぐらい未熟っていうか、完成されてないっていうか。
そもそも人って年取れば完成するものでもないんだから、だから「大人って完成されてない」って考えたら、やっぱり愛ある言いつけは絶対じゃないんだよね。だから、一人の人間としての判断ができるようになったらさ、その呪いを疑ってみるのは大事なんじゃないかなって思う。そしたら、袋小路や行き止まりが減るかもしれない。ぐっと生きやすくなるかもしれない。でも、同時に「選択の責任」は増えると思う。それが自由ってものだと思う。
ということで、世の中の良い子のみんな、そういうのないか? って考えてみてよ。
私の呪いはね「いい子だね」だと思う。どういう意味かっていうと、トイレに貼ってある「綺麗に使ってくれてありがとう」と同じ。いい子だねって言われると、いい子にならないといけない、いい子じゃないといけないって思っちゃったってこと。だからいい子でい続けようとして、それで上手くいかないもんだから不良になってみたけれど、自分が嫌になって、またいい子に戻って(真面目だなあ、私)、でもこれってすごく不自由だと思ったところで塩鯖に出会って分かってきたんだよ。「いい子」ってそういうことじゃないんだねって。
だから今は本当に楽。楽になろうぜ、みんな。