生きることは物語を作ること、をテーマに日々哲学するブログ

生きるとは自分の物語を創ること

日々のじだんだ ~見習いみかん農家二年目~

凸凹な二人

 おはようございます。今年は写真を多めに投稿したいなと思ってる。

 今度の木曜日から恐ろしいほどの寒波が来る。ということで、寒波対策に走り回っている。まずは不知火の袋掛け。不知火の生まれた場所では冬が寒いそうで、早めに収穫して貯蔵する方法がとられているが、この辺りは温暖な地域なので樹上で完熟させるのが常だ。でも、今回のような寒波のときは、できる限りの対応をして後は祈るのみ。袋一枚で寒波がしのげるかどうかは分からないが、霜対策や日焼け対策、雨除けのためにも袋はかけねばならない。

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 袋掛けの途中でおやつの安納芋の焼き芋をもらった。秋に収穫した安納芋、かなり甘さが増している。とれたてより貯蔵後の方が美味しい。ついでにコーヒーでキャンプ気分。インスタントだけど畑で飲むコーヒーは美味しい。

 さてタイトル。凸凹なのは私と塩鯖である。4つほど年齢が離れているので、微妙に年代が違う。だからか、基本的な考え方が違う部分が多い。というか、根底が違う感じがすごくある。

 もちろん、基本的な人間が真逆なタイプということも大いに関係していると思う。私は基本的にネガティブで、塩鯖は基本的にポジティブな人間だから。

 しかし、例えポジティブ人間であっても、人生において悲しいことも辛いこともある。逆にネガティブ人間であっても、人生において嬉しいことも楽しいこともある。総じて、人生における苦楽の量なんて、たいして変わりはないんだと思う。

 以前は逆だから分かんないと思っていたことが、最近はかなり分かるようになってきた。っていうのは、塩鯖がどう思うかが分かるっていうのじゃなくてね、逆っていうことの意味ね。

 逆っていうのは、同じ物事を見て、正反対のことを思ったり、行動したりするのではなくて、根本的に、根っこの部分で、物事の起点が、逆だってことなんだよ。

 だからね、私は明らかに塩鯖の方が秀でている場合は、塩鯖の判断にゆだねることにした。特に仕事面ではそう。だって私は迷うので行動が遅くなるから。こうするようになって、とても楽になって、改めて凸凹ってこういうことだったんだろうなと思っている。

 どっちが優れているとか、どっちがいいという話ではないと思う。たぶん、これは勝手な憶測だけど、塩鯖は私といると「立ち止まる」ことができるんだと思う。立ち止まってなにをするのかというと、物事の良い面と悪い面どちらもしっかり吟味してるんだと思う。なぜなら、私がいちいち立ち止まって、(偏見にまみれながらも)良い面と悪い面を行ったり来たりしているから。

 一見すると無駄な時間を費やしているようだけど(概ねそうだけど)、一生懸命であることは事実だ。まずそこは(自分で自分を)評価したい。けど、概ね無駄な時間だと気づいたので、できるだけ迷わないようにしてるけど。

 あと、これも勝手な憶測だが、多分塩鯖は豪快に生きてきた分、切り捨ててきたものが多かったんじゃないかと思う。もちろん、私だって散々切り捨てて生きてきた。だけどその切り捨て方が、吉本ばななさんの「悲しい予感」に出てくる、なかったことにされたものたちのように感じられるのだ。

哀しい予感

哀しい予感

 直そうとか、どうにかしようと、思われなかった膨大なものたちが、家の裏でただ朽ちてゆくのを待っているだけみたいな。

 それはとても、何かを諦めている人のように思う。どれだけ豪快に、自由に、自分勝手に生きているように見えても、なにかを「諦めている」という一点で、何か大きな欠落があるような感じ。

 あ、これは塩鯖のことだけを指しているのではなくて、悲しい予感に出てくるお姉さんのことも含めてね。そして、あくまで私の勝手な想像だからね。あしからず。

 私はとても潔くないので、悪あがきをしてしまう。それがいつだって良い結果を招くわけではないけれど、なんだろうな、かっこ悪いながらも、欠落と共に生きている。

 どっちがいいとか、悪いという話ではない。凸と凹という話だ。で、凸と凹同士だったから、同じものを見て、ちゃんと2倍に楽しめるようになっている。それがとても嬉しい。