生きることは物語を作ること、をテーマに日々哲学するブログ

生きるとは自分の物語を創ること

日々のじだんだ ~見習いみかん農家一年目~

石垣を修繕したよ

 寒波到来に備えて大慌てで仕事を片付けたら、前日の今日は手が空いたので父と塩鯖と私の3人で石垣の修繕をした。写真がイマイチで申し訳ない。

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 塩鯖が頑張った石垣。私はこんな風にきれいにできない。幼い頃から積み木やレゴは下手だったと思う。

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 父が頑張った石垣。否、石垣の裏側に詰め込んだ土は私と塩鯖が運んだものだ。だから結局、全部3人で頑張ったってことだけども。しかしこの高さ、なかなかすごい。

 とはいえ、この畑の石垣はもともとの持ち主である親戚のおじいちゃん(鬼籍)が一人でコツコツ作ったものらしい。こんな部分的な石垣ではなく、畑全体にある石垣のことだ。もう絶句である。よく、昔の人はすごいというけれど、本当にモノを見たら「すげぇや」と思うよ。今と昔は作り方も考え方も違うとは言うけれど、純粋に、人力で段々畑を作るなんてすごいことだよ。

 寒波襲来に向け、可愛い植物たちを室内に入れた。うちの部屋はちょっと変わってて、部屋の中にも窓がある。室内の窓でたたずむキセログラフィカたちは可愛い。

 縁あって、農家同士の物々交換について少し考えた。端的に言って、私はノらないタイプだ。いや、去年はノってしまったところがある。でもだからこそ分かった。生産者同士の物々交換はあまり気が進まない。

 もちろん、SNSを使っての拡販効果を狙うというのもあるだろう。しかし私のアカウントはそこまで育ってもいないし、なにより、私は欲しいものは買ってでも欲しいし、逆に要らないものは、タダでも要らないのだ。それこそ、本当に欲しいと思っているお客様へ届けてほしいと思う。

 これは、今年の12月にニュースになったこれにもつながっている気がする。

mainichi.jp

 決して大根に価値がないわけではない。単純に、今年は需要を上回る供給量であったということだ。

 こうしたニュースを見て「フードロス!」「もったいない精神を日本人は忘れた!」「捨てるぐらいなら困っている人に配れ!」という人が必ず出てくるが、私としては「お勉強しなおした方がよろしいかと存じますよ」だ。農家の怠慢で起こっていることではないのだ。むしろ、これが日本の経済のリアル、行き詰まってるんだよってことだと思う。

 物の価値は、需要と供給によって決まってきた。でも今、その価値を自分で決めてもいい時代になってきているんじゃないかと思う。かといって、農作物が法外な値段になっちゃうと人間が生きていけないので、やはりここは適正価格というのが必要になると思うけれど、それでも法外な値段でなければ、ある程度は生産者が納得できる価格で販売したい。叩き売りや、必要以上に下手に出てまで、買っていただかなくてもいいと思っている。

 だって、こちとら命がけで作ってるんだからさ(まだまだ、「軟弱ゥ!軟弱ゥ!」な私はあんまり言えないけれど)。

 そもそも、生産者だから作物を提供するべきって間違っていると思う。提供するか否かは生産者が選んでいい。だから、完全オーダーメイドでしか販売しない農家がいてもいいと思っている。私の基本もそういうスタンスでいる。届けたい人がいるから、ひとつひとつの仕事が頑張れるんだなって思う。

 フードロスは大きな単位の問題だと思っている。それこそ地球規模の。飽食の国と、そうでない国があるという現状が引き起こしている問題。でも私たちができることは、いきなり地球規模の支援とか活動ではないから、できることからやっていくしかない。だからいらないものを買わないとか、買い過ぎないとか、スーパーにつでもパンパンに物がないと嫌だっていうワガママを止めるとか、そういうことから始めたらいいんじゃないかと思う。

 コロナ禍で思ったのは、私たちは自分が想像している以上に、少ないもの(小さな経済)でも生きていけるということだと思う。でも、江戸時代の経済感覚に戻れと思うわけではない(私はそれほど懐古主義でもない)。大航海時代を経て、日本は開国してグローバル化したんだ。今ではインターネットで簡単に地球の裏側の人ともリアルに話せる時代だ。小さな経済で生きていけるからこそ、余剰の時間やエネルギーを地球のために使えばいいんじゃないだろうか。

 以前の私は「生きるのに精いっぱいなんですみません」と募金すらしなかった。余裕がある人がすればいいと思っていた。だけど今は違う。この変化が起こった理由は、塩鯖から学んだからだ。というのも、彼は販売のプロでもあるから、常に誰かにとってメリットと喜びがあるものを、そして自分にもメリットがあるようにと考えている。自分一人のことを考えていることなんてない(同時に、自分を犠牲にしようとも思っていない)。

 誰かにとって価値があるもので、自分にとってもメリットがあるもの、そして社会にとって必要とされるもの。これは「近江商人の経営哲学『三方よし』」なのだが、私はこれを考えるのがとても苦手だ。それは客観的に自分を評価できない(することが苦手)だからだと思う。それも、自分を過小評価しがちだからではなく、逆の自分を過大評価しがちだからだと思う。単純にそのものの価値として考えればいいところを、どうしても「努力加点」したくなるのだ。

 ここはまだまだ意識していかないとなと思っている。だってね、経済活動に参加することが、リアルに生きることだからね。こういうところを丁寧に、きちんきちんとやってゆくことが、本当の「丁寧な暮らし」だと思うんだよね。