生きることは物語を作ること、をテーマに日々哲学するブログ

生きるとは自分の物語を創ること

日々のじだんだ ~見習いみかん農家二年目~

六畳間のピアノマン

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 2話から見て、あんまり良かったんで3話、4話を録画してて今見た。一言でいうと、あまりにもすごい、人の美しさが詰まった物語だった。

 私はもともとオムニバスが大好きだった。なぜ好きなのかなって考えたこともあったけど、理由は分からなかった。でも、六畳間のピアノマンを見たら分かった。人は、みんな繋がっているということを、体感できるからだったんだ。

 六畳間のピアノマンには、たくさんの人が出てくる。動画配信でピアノマンを名乗っている夏野誠、夏野の同僚の村沢、大友。3人が勤める会社の上司の上河内、夏野の父の夏野泰造、警察官の脇見、美味しいビールの店の店主の溝口、溝口がボランティアしていた子ども食堂の主催者村野、地下アイドルの有村。※詳しくは上のリンクから読んでくださいませ。

 直接関係のある人から、駅ですれ違う程度の人、当人同士の接点はないけれど、誰かを介して実はすぐそばにいる人。ドラマだからじゃなく、私たちは多くの人の中で生きているんだって思った。

 本当に、いつもの見飽きた風景の中にさえ、自分の知らない人生という物語がたっくさん詰まっていて、そこには涙や汗や笑顔がある。例えば、夏野・村沢・大友が深夜に居酒屋に入ってビールを飲むシーン。きっとその日が最高の一日ではなかったんだと思う。どちらかというと「ありふれた一日」だろう。でも、3人にとっては、深夜までくたくたに働いて飲んだビールは、人生で一番うまいっ!! と言い合うぐらい、美味しいビールで、3人は最高に幸せだったと思う。

 人が笑い合ったり、涙を流したり、汗をかく時間なんて、一日の内の数分かもしれない。だけど、そこに「幸せにつながるなにか」があれば、その数分は永遠かのように人の心に残り、その先の未来で、誰かの心を支えるんだと思う。

 ああ、うまく言葉にできていなくてもどかしいな。

 私は妹を亡くしているのだけど、妹との記憶を思い出すのって、だいたい本当にどうでもいいようなしょーもない記憶のことが多い。夏の夜空を道に寝転んで見たなとか、手がいつも湿っていて熱かったなとか、動物にやたら好かれるやつだったなとか、あの頃は家族が7人いたなとか。本当にただの記憶の断片。そんな記憶を思い出した後で、私はいつも罪悪感にさいなまれていたんだよ。助けられたかもしれないのにとか、私のあれがダメだったなとかって。

 でも、ああ、そういうことじゃなかったんだ。あの幸せだった時間が私にはある、それが今の私を支えてくれているんだってこと。あの幸せな記憶から何十年も経っているけれど、私は今もその記憶に支えられている、ただそれだけだったんだと思う。

 その「幸せ」っていうのは、誰かの一生懸命であって、その誰かの一生懸命に胸を打たれたり、前を向けたり、もう一度頑張ろうと思えたりすることが「幸せ」なんだと思う。そして、人同士ってそんな「幸せ」で繋がっているんだと思う。そこには、死んでしまった夏野くんもいる。死んでるとか生きてるとか関係なく、人は繋がってるんだって思う。

 そう考えたら、なんかもうハレルヤ!! 人間って愛おしい!! っていう気持ちになった。

 私は今まで、死を選ぶのも個人の自由だと自分に言い聞かせてきた。そう思わないと、妹が死んだことを受け入れられなかったんだと思う。でも、それは違ったなと思う。今はもし目の前で死にそうになってる人がいたら絶対に「絶対に死ぬな、絶対に生きろ、頑張ろう、生きるのは辛いこともあるけど、頑張ろう。私と関わったからには、私はあなたを絶対死なさない。私のために生きろ!!」って言う。言えると思う。そう言いたかった、妹にも。ああ、これが分かったことが、私にとっては人生で3回目の誕生日みたいな気持ちだ。

 最終話は自分の歌を歌いたい女の子が主人公。恵まれた環境にいて、恵まれた容姿で、歌を歌いたくてオーディションを受けまくって、受かった地下アイドルの活動もしていて、ファンもたくさんいる。一見すると恵まれている女の子に見えるのだけど、彼女がやりたいのは「自分の歌を歌いたい」ことだから、地下アイドルは違和感だらけなんだけど、何とか自分を納得させながら頑張っている。

 でもある時、あまりにも思い通りにいかないから自棄を起こして破壊行動をとり始める。それは人によってはただの恵まれたお嬢ちゃんのワガママに見えるだろう。だけど、私は、私自身がワガママだから、彼女が自棄を起こした気持ちがよくわかる気がした。

 人に迷惑がかかるんだとか、こんな無責任なことをしてはダメだとか、約束を破ってはいけないとか、人を傷つけてはいけないとか、そんなのがどうでもいい、自分だってもうどうなってもいい、今この目の前の現実がどうなってもいい、クズで最低な人間だらけのこの世界なんて壊れてしまえばいい。そう思って、実際に何もかもを壊したことが私にもあるから。

 今まで、あれは何だったんだろうなと思っていた。それが今日、分かった気がした。

 あんなに激しい破壊行動をとってしまうのは、どんな理屈や理由で自分の気持ちをねじ伏せても、自分には嘘をつけないということなんだと思う。「私は諦めていない!!!」と叫んでいるのだと思う。だからって人の道から外れることをしていいわけではないから、破壊行動にはそれ相応の代償はあると思うけど、その代償を払ってでも、目の前の現実を壊すことが必要だったんだと思う。たぶん、それまでの自分を壊すために。

 まぁ、そう考えたら本当に迷惑な人だよね、こういう巻き込み型の自己中な人(私もだけどね)。でも、全くの自己擁護だけど、そんな風に不器用にしか生きられない時期がある人もいて、いろんなものを壊して、迷惑をかけて、時には傷つけて、初めていろんなことが分かるんだと思う。ああ、本当に迷惑だなって書きながら思うけど。でも、巻き込まれることで運命が動き出す人もきっといると思う。

 ごくごく当たり前に、人にはそれぞれ人生があって、語られないストーリーがあると思っていたけど、こんなに生々しくリアルに、人間って愛おしいと思えたのは、初めてかもしれない。それは、私の個人的な「今」というタイミングがそうさせたのかもしれないけど、そんな神がかったタイミングでこれを見れたことが、もう運命だなと思った。

 かなり思い付きメモみたいになってしまったので後ほど書き直すかも。本当に最高のドラマでした。