生きることは物語を作ること、をテーマに日々哲学するブログ

生きるとは自分の物語を創ること

日々のじだんだ ~見習いみかん農家二年目~

移住から一年

 いろいろと整理が終わったのでやっとはてなと向き合えるタイム。こんにちは。今日は雨です。

 さて、去年の今頃は丸亀市で、引っ越し段ボールに囲まれて生きていました。移住したのが8日。塩鯖が来たのは11日ぐらいだったか。ちょうど一年が経過しました。

 この一年、私にとってはとても意味の深い、そして私自身が変わった一年だったと思います。もちろん、まだまだ全然事足りてないところもあります。メンタルも成長しきっていません。でも、少なからず一年前よりは大人になったかなと思っています。

 メンタルが子供とか大人とかってなにさ、っていう話ですが、要するに「全部自分でやるという気持ちがあるかどうか」に尽きると思います。

 こんなことを言うと、まとまに社会人やってる人からは「は? 今さら何言ってんの?」みたいな感じがするかもしれませんが、私はずーっと心のどこかで「誰かがやってくれるなら、私はやらなくていい」と思っていたし、親に対しては「親なんだからやってくれて当たり前だ」ぐらいに思っていた部分がありました。

 というのも、この方のこのツイートを見ては「そうそう、そうなんだよ」と思うからです。

 今は両親と塩鯖と4人で仕事をしています。当然、しんどい仕事はみんなしんどい。慣れてる父だって、母だってしんどい。当たり前です。でもなぜか「慣れてるんだから私よりはしんどくないはず」と思っちゃう愚か者が私です。だからすぐ休もうとしたり、帰りたくなったり、寝転びたくなったり、なんなら一日中漫画を読んで過ごしたかったりします。今でもそう。

 でも、そんな毎日の過ごし方をしていたらね、いつまでたっても柑橘栽培なんてできないんだよ。

 このツイートの中にもある通り「眠いよーしんどいよー」と思いながらも、「完璧な〇〇であろうとするために」頑張ること、それが大人なんです。

 そんな当たり前のことに気づいたのがこの一年でした。

 もちろん、自発的に気づいたわけじゃないというところが愚か者ポイントです。塩鯖に何度となく叱咤されて理解した。いやもう、塩鯖を生涯のパートナーとして選んだ私偉いね、すごいね、感動だね。激烈スパルタだったよ……(いや、それはお前がゆとり世代以上にゆとってるからだよ)。

 いつまでも、子供のように駄々っ子な自分がいて、駄々っ子に負け続けてきた成人以降だったんだなと思います。

 でも、そんなメンタルでいたから、この世界がなんにも思い通りにならなくて、敵だらだけで、戦っていないと生きていけないって思ってました。でも、そうじゃなかったんだなあ、思っていた以上に世界は優しいんだなあと思った一年でもありました。

 今の私はどうなのかなと考えると、まだまだ子供だし、元来のワガママさや自分勝手さは十分健在です。でも、前ほど自分の好き嫌いに自信が持てなくてもよもよすることは減ったなと思います。

 その理由は、毎日疲れ果てるほど仕事しているから、無駄なことは考えなくなったというのが一番じゃないかと思う。例えば今も話題のキンコン西野くん。以前は「彼が言っていることはまっとうなのかどうか」のために本まで買って読んだりした。実に、実に暇だったんだなあと思う。今はもうどうも思わない。

 それは暇だった時期に本を買って読んだり、いろいろ聞いたりしたから興味がなくなっただけかもしれない。でも、それを含めても「考え方が合わない」で終わり。終わりだ。それ以上もそれ以下もない。

 世の中は、白か黒か、好きか嫌いか、正しいか間違いか、そんなきっぱりとした二元論で語れるものじゃない。むしろ概ね濃いか薄いかのグレーでできあがっていて、自分自身さえもあっちへふよふよ、こっちへふよふよしているようなものだと思う。

 それを無理にどっちかにしようとしなくてもいい。ということは頭でわかっていたけれど、長年の「賢い人に見られたい病」が発動して、なんとか二元論に押し込めようと頑張っていたんだなあ、あの頃の私は、と今は思う。

 白か黒かといった二元論の世界から脱し、曖昧であやふやなグレーの世界に来たけれど、今の私は今までになくシンプルだと思う。

 だから、今興味があることは、どうしたら体力とスタミナが付いて栄養ドリンクが必要なくなるかということと、塩鯖と何を美味しく食べようか、くらいのことだ(もはや体重を減らそうとかスタイルを戻そうという思惑さえも二番手、三番手である)。

 実にシンプル。ああ、シンプル。そう、これぐらいで良かったんだよ、もともとな。

 そんな感じで、島に来て一年を迎えました。次の一年は、できなかったことが、できるようになりたいです。