生きることは物語を作ること、をテーマに日々哲学するブログ

生きるとは自分の物語を創ること

日々のじだんだ ~見習いみかん農家二年目~

今、未来の選択肢に「死ぬ」が入っている人へ

ちょっとウザいなとは思うのだけど、言いたいことがありまして。さっき、母と若い子の自殺が増えているんだってねって話してて、思ったこと。

家賃も払えず、税金も納められず、仕事もなく、未来に不安しかなくて、誰にも頼れない状態だったら、そんな自分は社会には必要とされてないのかもしれない、居場所なんてないんじゃないかと思うこともあるんじゃないかと思うんですよ。

私が20代のころ、再就職がうまくいかなかったときがそうだった。

「お金を稼ぐ」方法が、どこかに雇ってもらって働くしか思いつかなくて、たいしたスキルも経験もないから面接に行けるところは限られてるし、それも落ちるし、もう私がいてもいい場所ってないんだな、私なんて生きてるだけで迷惑かけてるんだろうなって思ってた。

でもね、今はこう思う。

未経験のことに挑戦すればよかった。たくさん失敗もするだろうけど、そのたびに何度でも心底から謝って、いろんな未経験を体験させてもらえばよかったって。

失敗することは、人に迷惑をかけることじゃないんだって思うんですよね。

そこで逃げたら迷惑になるけど、そこで踏ん張ってスキルや技術を身につけたら、その場所で役に立てるわけですよ。そしたらそこが居場所のひとつになるわけですよ。

今の自分ができることって、今までに経験したことしかないんですよね。だから、今の自分はこれしかできないと思ってても、経験を積んだらできることが増えるんです。

逆に、経験しないとできることは増えないんです

苦手、不得意、未経験で避けていることって、実は自分の可能性なんですよ。

だから、生きることを諦める前に、ひとつでいいから挑戦してほしい。あえて選ばなかった、自分には無理だと諦めた道に、一歩踏み込んでほしい。それが「誰かに頼る」でも、「未経験分野で働いてみる」でも、なんでもいいと思う。

思うような結果が出なかったら、結果が出るまで試してみたらいいと思う。たいていの成功してるように見える人って、何度でも諦めずに挑戦してる。一発で思い通りにいかないのはデフォぐらいに思っていいと思う。

生きることを諦めるのは、それからでも間に合う。
だから一緒に生き抜こう。

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失敗したらとことんまで責める人がいる。多分そういう人って「あなたがやったことは、あなたの為にならない。だから反省して二度と起こらないようにしてください」という意味でとことんまで責めるのではないと思う。「責める」という行為を分析できたとしたら、おそらく「機嫌が悪かった」「虫の居所が悪かった」「癪に障った」などの、要するに失敗した人自身には無関係の八つ当たりの感情が8割ぐらいで、あとは性質的にサディストであるか、それしか怒る方法を知らないとか、まぁそんなところじゃないかなと思う。

私の実感では、親以外の失敗をとことんまで責める人というのは、「失敗そのものを責めているわけではなく、他者の人格を否定することで優位に立とうしている人」だなあと思う。

失敗なんて誰でもする。みんな失敗する。それなのに、それがまるで「いけないこと」のように感じてしまうのは、失敗を責められた経験がトラウマになっているか、あるいは誰にも責められていないのに、自分で自分を責めているからだ。

後者の場合、そうして「私は責められました」と事実を作ることで、責めた相手を責めようとしているという心理が働くことがある。これはけっこうお手軽なので常習化しやすい。常習化するとクセになる。クセになると、それが自分の性格だと錯覚してしまうことがある。そうなると、自分が一番損をする。だって、メンタルに対してやらなくてもいい自傷行動をとる自分が「これが私だしね」になっちゃうからだ。

ここで何が言いたかったのかというと、要するに「理不尽に怒る、叱る、責める人はいる。だけど、あなたに必要なのはその失敗を糧にすることで、責められたことに対して何らかの代償を払い、犠牲になることではないんだよ」ということ。

失敗しながらでも、いろんな経験をして、とにかく場数を踏んでいこう。厚みのある経験が、きっと未来のあなたを助ける。