生きることは物語を作ること、をテーマに日々哲学するブログ

生きるとは自分の物語を創ること

日々のじだんだ ~見習いみかん農家二年目~

写真なし、その他の方が多い日

昨日は写真を一枚も撮っていなかったという事実に驚いている。いやあ、倉庫仕事だったから写真撮るタイミングなかったのかな。

今日は主に選別をしていた。選別とは、収穫したみかんを出荷用により分ける仕事。ひたすらに、ただひたすらに、みかんを手に取って傷や傷みのチェックを行って振り分けてゆく。

なかなか根気のいる仕事だが、やっていたらいつかは終わるという感じ。定期的に立ち上がるから身体的にはマシかな? ずっと同じ姿勢でやり続けるのは相当しんどいと思うけれど。

選別を終えて、次の出荷の準備をして、出荷用のコンテナを持って帰ってきて(今日の夜から雨が降るそうだから、雨が降る前に持ち帰っておく方がいい)、本日は終了。朝一番の猪も異常なしだったし、椎茸の原木は一応叩いて刺激を与えておいたし、うん、今日も良く頑張りました。

ここ数日、いや一週間ぐらいか。ずっと「人の期待に応える」ということを考えていた。

いや、正確には「変えようがないとつい思ってしまうような、人の性質の根本の部分(無意識の部分)を変えるにはどうしたらいいのか」ということを考えていたのだと思う。

無意識の部分はクセに等しいと思う。なんでと聞かれても、なんでか分からない、という部分だからだ。それ以前に、まず自分で気づいていないことの方が圧倒的に多いから「無意識」。

以前は理由が分かれば改善のしようがあると思っていたけれど、何年もかけて「そうとは限らない」と経験から学んだ。ではどうしたらいいのか? 頑張って、無意識を意識するクセを、無意識の反応を自分でちゃんと拾えるように、意識しておくしかない。

私が治したいと思っているのは、自分のことしか考えられないところだ。これはどういうことかというと、自分にとって都合よく世界が回ってくれないかなと無意識に本気で思っているということ。

もっとわかりやすく例えると、誰も彼もが私の都合の良いように動いてくれないかなと期待してしまうということだ。だけど残念ながら地球は私のために回っているわけではないから、私にとって都合の悪いことだって起こる。だけど私は、私の都合の良いようになってくれないかなと期待してるわけだから、都合の悪いことになると期待が裏切られてイラッとしたり、怒ったり、場合によってはなんとか都合の良いようにしてやろうと思って余計なことを言ったりする。そして大体失敗し、失望し、自信をなくし、信頼もなくす。人生における多くの失敗がこのパターンだ。

このパターンは、人生がうまくいかないと感じている人の多くに当てはまるのではないかと思う。

ではなぜ「自分のことしか考えない」という欠点を持っている私が「人の期待に応える」ということを考えていたのか。それは人の期待に応える人は、ちゃんと相手の行動を見ることができる人だからだ。相手の声ではなく行動を見ているから、相手が望みを汲み取ることができる。

声は必ずしも本当の本当に求めていることを言語化するとは限らないけれど、行動は嘘をつかない。というのは、これも自分の経験から学んだことだ。だって、意外と自分が本当に望んでいることって分かんないもんだから。自分で発した言葉に、自分が惑わされることなんて何度もあったから。

 

私は「人はいくらでも変わることができる」と信じている。そうでなければ、生きている意味がない。だってそうでしょ、生まれてずっとこの自分で生きていくのか? 同じ失敗をくりかしながら? そんなわけはない。変えられるのだ。だから「ああ、またこのパターンで失敗した」と気づくのだ。

そして何度も失敗するから強く自分に失望し、そして強く決意するようになるんだと思う。今度こそしっかりやるぞって。だって、私はハリウッド映画の主人公じゃないもん。一度きりの失敗で成功や達成には到達できない。何度も何度も失敗しては挑戦してを繰り返して、「前よりはちょっとマシ」の今に至っている。

懲りない、学ばない、アホなのかもしれない。だけど目的を忘れずに、諦めずに続け手入れば、いつかは叶えられると思っている。

無意識の意識を変えるのはとても大変だ。だって無意識なんだもん。だけど幼少期の経験や記憶や、はたまたトラウマ級の出来事なんかが原因だとしても、それは人を傷つけて良い理由にならない。たとえ、その経験の中で自分がどんなに傷ついていようとも、だ。自分が傷つけられたからといって、相手を傷つけて良い理由にはならない。

だから私は、自分のことしか考えられない自分から、人の期待に応えようとできる人になりたいと、思っている。