生きることは物語を作ること、をテーマに日々哲学するブログ

生きるとは自分の物語を創ること

日々のじだんだ ~見習いみかん農家二年目~

相変わらず気づくとこれよ

気づけば五日間も経過。だからまず、今日のビックニュースから。

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120cm75kgの猪を仕留めた。

今朝は連日の仕事で疲れてたので、ちょっと遅めに仕事に行きましょうということで、少しだけ遅めのスタートだった。で、いつも通り猪の罠の見回りから。イノシシの罠の見回りは、地域の罠の見回りと、自前の罠の見回りの2パターンある。自前の罠は自分で設置し見回りする。

ということで、自前の罠の見回り。だいたいこの見回りタイムは熊の事件を思い出していることが多い。主に三毛別羆事件福岡大学ワンダーフォーゲル部ヒグマ事件だ。うっかりすると野生動物の恐ろしさを忘れてしまいそうだから。

そんなわけで、熊に出会ったら背を向けず逃げる……などと想像していたら、罠かけポイントにでっかい毛むくじゃらが大暴れしているではないか。今までさんざん罠の設置に同行していたけれど(罠の設置には免許がいるので同行とお手伝いだけ)、罠にかかった猪を見るのは初めて。軽トラの助手席で大慌てである。私が慌てたところで何もできないのだが。

夫氏は鉄砲隊なので何度も経験しているから安心だ。冷静に銃を取りに帰宅し、身支度を整えて再出発、そして猪を仕留めた。

で、問題はそこからだ。この猪を、運ばねばならない。

この時点では猪のサイズや重さなどは目測でしか分からない。だとしても、猪をケースに入れて指定の場所に運び、記録し、しかるべき処理をする施設に入れるところまでが「猪対応」なのだ。

で、夫氏と二人で頑張った。幸い罠をかけた場所は軽トラより上の位置(元段々畑)なので、まずは罠を外し、石垣の下にケースを設置して転がり落す。ここまではOK(けっこう長いこと動いてたので怖かったんだけどもね)。夫氏がしてくれたので私は直接触ったりしなくていいし。

問題はここから。この巨体を軽トラの荷台に二人で載せねばならない。

去年の私ならば間違いなく恐怖でパニックを起こして逃げていたと思う。それぐらい野生動物は怖いのだ。だけど今年は「”女は度胸”で逃げない一年にする」と決めたので、意を決して近づき、猪の入ったケースを夫と二人で軽トラに担ぎ載せた。素直に持ち上げたんじゃなくて、荷台に持たせかけてから滑り入れた感じだったけどね。いやそれでもマジで重いから。アドレナリン出てなかったら持てないと思う。

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全力でひと段落である。あとはしかるべき場所に持って行き、計測、記録、保管で終了だ。

私はこの島で取れた猪を食べて美味しいと思ったけれど、正直言ってこの作業の後では全く食べる気がしない。これがオスだから(オスは美味しくない)ではなく、かなり精神的なダメージが大きくてショック状態だったのだと思う。

つい昨日のこと、左瞼の痙攣が2か月も止まらないのでストレスか疲れかって思ってたけど、ストレスや疲れはあって当たり前のものなのだ。だからストレスや疲れを否定したって始まらない。これらとどう付き合ってゆくか、どう逃がしてゆくか、それを考えないといけない。

だって、これからも罠を仕掛けるんだよ。ということは、このショックが強いストレスだって毎回受けるんだ。回数をこなして慣れて麻痺するのは、野生動物の命への冒涜にも近いんじゃないかと思う。だからそれだけは絶対にしたくない。ならば、強靭な精神力と体力が必要だなと思った。

稀に「野生動物を殺すなんてかわいそう」という人がいるが、そういう人は一度も野生動物の脅威を感じたことがないから言えるのだと思う。実際に目の当たりにしたら、目の前で殺されるのを見たら、自分も彼らと変わらない肉の塊に過ぎないことを思い知り、同じ肉の塊ならばあちらの方が圧倒的に強いと感じると思う。

そんな動物から自分や作物を守らなければならない。とても綺麗ごとを語る余裕などない。

私は、人生とは経験をどれだけ自分の精神性(スピリチュアリティ)に生かせるか、ということで充実度が変わると感じている。リアルな経験に勝るものはない。それがどれだけストレスフルでショックな出来事であっても、自分の人間性の向上のための糧になれば、なにひとつ無駄ではない。

だから私は、ある意味では一定の人たちとは分かり合えないかもしれない。それでもいい。今日出会って別れた猪から学んだことを大事にしたいと思う。