生きることは物語を作ること、をテーマに日々哲学するブログ

生きるとは自分の物語を創ること

日々のじだんだ ~見習いみかん農家4年目~

自分のためだけの楽しいことがあったっていい

 昨日、移住の先輩のお家でお食事会をした。お料理上手のお二人が振る舞ってくださったお料理が美味しすぎて、私は多分相当食べすぎたと思う。

 今回は中華料理を持ち寄ったのだけど、見てこれすごくない? 私はお店に来たのかと思ったよ。紹興酒も色々あったし、本当に美味しくて楽しい時間だった。

 そこでご主人から質問があった。

何をしている時が楽しいですか?

 改めて聞かれると思い浮かばない。今の生活はちゃんと楽しいし、私は夫氏が元気でいてくれること、二人でキャッキャできることが一番の楽しみだし喜びだから、何不自由ないと信じて疑っていないから。

 でもよくよく考えてみれば、幸せとか楽しさって一つに絞らないといけないものでもない。私の楽しみってものがあってもいいんだよなあと思った時、浮かんだのは「書くこと」だった。

 実際にこのはてなブログという場所は、私にとっての思考メモだったり覚書だったり、心の整理をつける場所だったりする。公開しているもののアクセス数を増やしたいとは思わないのは、この文章が誰のためかって突き詰めていくと、私のためでしかないからだ。

 一時期爆発的に増えた情報系のブログは、はてなブログの得意とするところ(なのか、そういうユーザーのために変わっていった気もしなくはないが)なのだけど、ああしたブログはターゲットがいて、アクセスしてもらうことで報酬が発生したりもするけれど、基本的には「役に立つ」から使われるものであって、役に立たないブログは閑古鳥。

 ちょっと脱線するけど、私はもう辟易している。「役に立つ」ってことに辟易。というか、意図的に作り上げられたものに、そしてその浅はかさに、辟易しているのかもしれない。

 バズもブームも生み出すことができる。もちろんその通りだろうし、過去に大ブームを巻き起こしたものも、きっとプロデューサーなり仕掛け人なりの存在があったのだろう。今だってバズレシピのリュウジさんなんてすごいなと思う。

 だけどその劣化版みたいなものが、かなり、相当存在していて、そうしたものに出会うたびに、うまく言い表せないけどとっても疲れてしまうのだ。

 この疲れがなんなのか、まだうまく表現できる自信はないけれど。

 で、私のブログね。私のブログは完全に古き良き(?)昔の個人の日記ブログのまんまだ。以前「役に立たない」って言われたことすらあるこのブログだが、役に立っているのだ、私にとっては。

 無目的に、書き散らすだけ書き散らして、サーバーを無駄に圧迫し、得られるものは私の自己満足。ただそれだけの場所なのだけど、とても大切に思っているし、今後も大切にしてゆきたいと思っている。