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日々のじだんだ ~見習いみかん農家4年目~

さして重要でない一日

さして重要でない一日 (講談社文芸文庫)

さして重要でない一日 (講談社文芸文庫)


 タイトルの「さして重要でない一日」と芥川賞候補の「パパの伝説」の2編。

 そもそもこの人の本を読もうと思ったのは、社会学的な本のレビューを見てからだった。その本はこちら。

会社員とは何者か? ─会社員小説をめぐって

会社員とは何者か? ─会社員小説をめぐって


 否が応でも「会社員とは何者だろう」と考えながら読んでしまう。

*さして重要でない一日

 この短編は、ただの会社員の「さして重要でない一日」だ。読み終えた後、読み初めがどんなものだったのかさえ忘れている。だって「さして重要」でないから。

 しかし自分も会社員。思い当たる節がいくつもある。バタバタと過ぎていく日常。一瞬立ち止まり時計を見る。ああ、もう2時間も過ぎている。バタバタ、バタバタ。

 主人公は行きつけの場所があるけれど、それもさして重要な場所じゃない。いきつけ、なだけだ。

 同僚もいる。けれど、同僚は同僚だ。

 わたしのさして重要でない一日が、誰かにとって重要な一日であったりすることは、重々承知している。この主人公を取り巻く人々もそうだ。キーポイントとしている人もいれば、さらりと過ぎていく人もいる。ただ、会社員とは、なんとたくさんの人にまみれているのかと、改めて思わされた。

 事務の女の子は順番に1,2,3と付けられる。うん、それ分かる。そしてわたしは名前がつく人だってことも分かる(特別という意味ではなく、業種的なもんで)。しかしわたしは女子だから1,2,3がそれぞれに個々を持っていることは知っている。でも男子諸君は意外と知らなさそうだ。

「親切」は「親切」以外の何者でもない。多分「親切」さに惑わされての最後だろうが、この置いてきぼり感がたまらない。

 普通のことを普通に書いて、普通に読み切れてしまう。読後感は「空っぽ」だった。空井戸に石を放り込んだときのような、空っぽ。

*パパの伝説

 むちゃくちゃな「パパ」の自伝を書くことになる主人公。「パパ」は狭い街の一番偉い人。主人公はできの悪い元サラリーマン。

 正直気持ち悪い部分が多い。けれどぐぃんぐぃんと読んでしまう。その気持ち悪さの正体を知りたいと、思っていたのかもしれない。

 型にはまった人生、というのがもしもあるのだとしたら、パパは相当に型にはまっていない人生を歩まされてしまった人だ。そして主人公は逆だ。そう思うと、主人公は型にはまろうとしているようにも見える。いや、むしろ「そのやり方」しか知らないように見える。

 パパは自分の人生を好きなときにとくとくと語って去る。テープレコーダーで録音している。いざ自伝を書くと決めたとき、主人公はぐるぐると迷う。時系列が、パパの言ってることが、全部ちぐはぐだからだ。でも、時系列が狂うなんてよくあることじゃないか、とわたしは思う。勤怠表をつけているから毎日どうしていたかわかるだけで、それがなくなればわたしも時系列を追って話しなんてできないような気がする。

 ただ、全体が、その場所も含めて全体が哀しい。なんでだろう。パパはけっこうあっけらかんとして笑っているのだろうけど、哀しいよ、そんなの。

 娘が二人出てくるけれど、この子達が救いになればこんな哀しい気持ちにならないだろうけど、救いではないのよね。でも、そんな都合よくいかないもんだよな。

「さして重要でない一日」とは打って変わっての破天荒さ。つい他の本も読みたくなってしまう。人生の断片を書く人、という印象。なかなかその断片って切り取りにくいんだよ。