生きることは物語を作ること、をテーマに日々哲学するブログ

生きるとは自分の物語を創ること

日々のじだんだ ~見習いみかん農家一年目~

自立するために帰ってきたんだって話

 前回の記事はこちら。このお話の中の、母親に猫を飼いたいと伝えたところが今回のメイン。

cimacox.hatenablog.com

 門前払いがどういうものかというと、「はぁ? 猫? 聞いてない、今は無理」で、ばっさり終わりだった。実家には使っていない祖母の離れがあるので、そこでケージに入れて飼えるんじゃないかと提案したが、これが母の何かに火をつけたようで、「あそこは片づけしてないの。それに今は片づけなんて無理よ。でもあなたたち犬が飼いたいって言ってたじゃない。犬だったら何年中に、あそこを壊して犬小屋を建ててあげるからそこで飼えばいいじゃない」「だいたい猫もウサギも全部面倒はお母さんが見るのよ!!」とまくしたてられて、最終的には「そもそもお父さんが……」と、全く関係のない父の話が出てきてヒートアップ*1してしまった。

 私はこれを見て「ああ、全然話を聞いてくれないんだな」と思った。

 今までの猫もウサギも、妹が飼えなくなった子たちだよ。私は勝手に動物を飼ったことなど、一度もないよ。怒られるからさ。

 私は何年後かに犬が飼いたいんじゃなくて、今、ジジとブッチと暮らしたいんだよ。

 今、うちの実家はもう一つの離れを私たちが住めるように改築している。新しいキッチンも入って、トイレも新品にして、とてもお金がかかっている。ゆくゆくは両親が隠居するときに入れ替わる予定だそうだ。今月中には改築が終わり、引っ越す予定だった。だからジジとブッチのことも急いだ。もうこの住宅に住めなくなるからね。

 私は思った。私の望みはジジとブッチと暮らしたい。ずっと一緒にいたかった、例えあの二匹が、他人から見たら「ただの元野良猫」であっても。

 母がヒートアップしてしまったので、私はやることを済ませて帰った。すごく悔しいのと同時に、いろんなことが次々に思い出されてきた。幼いころ、犬や猫が飼いたいと言っても全然許してもらえなかったこと(その後、父が突然犬を連れて帰ってきたので犬を飼うことはできた)、母が許可しそうなことしか言わないようにしてきたこと、一度だけ勇気を出して「小説家になりたい」と言ったら「なれるわけないじゃない」と即答されたこと。

 もちろん、応援してくれたこともある。助けてくれたこともある。今回、改築している部屋だって私たちが帰ってきたからやってくれていることだ。本当にありがたいと思ている。でもそれは、今思えば母の想定内の「夢」だったからなんじゃないかと思う。例えば、一番これだけはしちゃいけないと言われていた「農家の長男の嫁に行く」と言ったら、許してもらえただろうか。

 私は何年たっても母の年齢を追い越すことができない。何歳になろうとも母の娘であることには違ない。でも、私と母は一体ではない。別々の人間だ。別々の人間だから、「いい」と思うものが違ったり、「嫌だ」と思うものが違ったり、「好きだ」と思うものが違ったり、「嫌いだ」と思うものが違ったり、「これが大切なんだ」と思うものが違って当たり前だ。

 でも今までの私はずっと「母の気に入るもの」を選んでいたんだと気づいた。正確には「母の気に入りそうなもの」だ。でも、中には母の気に入らないものもたくさんあっただろう。そのたびに我慢させたり、折れさせたりしただろう。だって仕方ない、私は母とは別の人間なのだから。そして同時に、私も同じように我慢したり折れたりしてきたのだ。

 無意識に。そう、無意識に。ジジとブッチに出会ったから、それに気が付いた。

82年生まれ、キム・ジヨン

82年生まれ、キム・ジヨン

 きっと、母は私に、苦労や辛い思いをさせたくなくて、いろいろしてくれているのだと思う。「できることはしてあげたい」というのが母性ならば、私は十分に愛情を注いでもらっているのだと思う。そしてそれに甘えて生きてきたのが現実だ。でも、それじゃいけないと思った。なにか困ったことがあるごとに、両親を呼びつけたり、いちいち聞いたりしていたら、私は全く成長できずに年ばかり取って、なんにも決められない人になる。そしてなにより、ずっとずっと、生きてる実感を味わうことなく、ぼーっと生きて死んでゆくことになってしまう。そんなの、生まれてきた意味がないじゃないか。

 だから私は自立しようと思った。私が決めて、私が責任をもってやり遂げる。仕事も、暮らしも、全部そうする。

 もちろん、一人きりで(あるいは塩鯖と二人きりで)生きていくわけではない。生きていくってことは、誰かと共に助け合いながら初めて成り立つものだから。だから変に意地を張らず、だけど今回の悔しさは絶対に糧にして、生きていこうと決めた。

 たぶん何年たってもジジとブッチのことは忘れない。半年という時間をかけてお互いに育てた信頼関係や、可愛い夜中の呼び出しや、うるさいほどのご飯コールや、ジジやブッチのためにホームセンターでにやにやと猫グッズを買ったこと。今もまだ、黒い塊を見たらジジかと思って足が向いてしまうこと。

 私が自立していないばっかりに、とてもとても、生涯忘れられないぐらい悔しい思いをすることになったこと。ジジとブッチのおかげで、私は自分を取り戻せたこと。

 そういえば、吉本ばななさんの「鳥たち」にもこういうシーンがあったような気がする。いや、ずっとずっと書かれていた気がする。母親の愛という名の呪縛、それはとても心地よいものだけど、だからこそ生きづらいってことが。そう、アムリタの栄子ちゃんなんか、そうじゃないかな。

鳥たち (集英社文庫)

鳥たち (集英社文庫)


 これ、タイトルは強烈だけど、多くの人が当てはまるのではないかと思う。直接的な暴力や、精神的な暴力ではなくても、それが愛ゆえの干渉であっても、時には毒となる。そうならないようにするのが正解とか、成功ってことじゃない。そういう経験をして、轍を踏むからこそ、人間は独り立ちできるんじゃないかな。そして、これからの時代を生きぬける人になってゆくんじゃないかな。
toyokeizai.net

 自分で決めて、自分で責任をもってやり遂げるなんて、当たり前のことだろうと思う。だけど、案外やらなくても生きていける。それは私が今生きていることが立証している。その代わり、何かに依存している分(あるいは、なにかのせいにしている分)いつだって何か不満で、いつだってなにか不安で、いつだって何かが怖い。それが現代の病の一つだと思う。

 そこから抜け出すためには、本気で全力で生きる覚悟と、本当の思いやりを知ろうとすることだと思う。今は何でもググったら分かるから知ってる気になりがちだけど、実際やってみなきゃ分かんないことだらけだもんね。親の気持ちもパートナーの気持ちも子供の気持ちも、知ってるようで聞いたことなんてない人が多い。それを聞く勇気(知る勇気)と、決めつけてかからない柔軟さは、本気で全力で生きようと思ったらついてくる。

 はー、頑張ろう。ジジとブッチが健やかにご飯を食べて寝ていると想像して。

*1:母はここ数年、嫁に来てからずっと我慢してきたことなどが爆発してしまう病に罹患している。今回も私の話なのになぜか父に飛び火した。許し難いことがあるということだろう。しかし私は、過去のことはもう戻ってやり直せないのだし、どうにかして許すなり納得するなり理解するなりした方が、今も未来も健康的な方向に行くんじゃないかと思っている。だってね、許せないことをずっと許さないでいたら、ずーっとずーっと、自分の限りある記憶領域を長い時間、そしてかなりの容量を消費して、その呪わしい出来事を大事なものとして記憶して、もっと大事な楽しいことや嬉しいことが消えていってしまうのだから。

運命の猫のことを少し(続きは別記事)

 またもやすごく間が空きました。忙しかったんです。主に猫のことで。

 4月、この島に引っ越してきた日に、部屋に黒猫が入っていたことがありました。ガサガサ音がするから恐る恐る行ったら猫だったんですよね。たぶんその猫が、今回のお話の主役です。

 私が住んでいる住宅の近くに、住み着いている野良猫がいました。真っ黒の小さくて痩せた猫と、さらに小さな黒とグレーのブチの2匹。ご近所さん曰く、最初は4匹だった子猫が今は2匹になっているとのこと。

 私は一応愛護活動もしていたわけだから、餌をやるのはダメだよなと思っていたけど、塩鯖が真っ黒の猫にジジと名付け、訴えに負けて餌をやるようになりました。もちろん、私も。子連れ猫ちゃんなんて可愛いからね。いや本当に可愛かった。

 ジジはけっこう人慣れしていたけれど、子猫ちゃん2匹は全然。だけどそれでも良かった。元気ならばそれで良かった。ガリガリのジジが少しでもハゲとか傷とかなくなればいいなと思っていたから。

 そうこうしているうちに夏になり、グレーのブチが車にひかれて死んでしまった。ジジと黒のブチがグレーのブチのそばをうろうろとしていた。たまたま私たちが帰宅した時はねられた直後だったらしく、私たちと同じく猫のために車を停めてくれた人がいた。その人がグレーのブチの亡骸を連れて帰って埋葬してくれた。

 外の猫はこんな風に死んじゃうことがあるんだと思ったら、なんとかこの2匹を助けたいなと思うようになった。野良猫の寿命が短すぎる原因は、病気や怪我もあるけれど、轢死が多いからなんだよ。

 避妊と去勢をしてうちで飼えないかなと思っていたら、ジジがまた妊娠した。妊娠してしまったものはしょうがないと思っていたら、ジジにべったりだった黒のブチが、ジジ離れしなきゃいけなくなったらしく、下手くそな鳴き声でうちにくるようになった。それまで2匹一緒に来てたけど、そのころだけは別々に来るようになった。

 小さなころから見ていた子だから、とても可愛かった。呼ぶようになり、撫でさせてくれるようになり、夜中でも起こすようになり。おかげで多少寝不足だったころもあったけど、寂しいものは寂しいものな。

 そうこうしているうちに、ジジが赤ちゃんを産んだ。どこに産んだのか分からなかったけれど、パンパンだったお腹がスレンダーになって現れた。ああ、ジジの子が見たいな。でも本当に避妊しなきゃジジが消耗して死んじゃうよ。ブッチも男の子だから去勢しないとな。そう思って、いつ手術に連れて行こうか考えていた。そのころには2匹はほぼうちに住み着いているような状態だった。

 何度かジジの後をつけて子猫を見てやろうとしたのだけど、毎回たどり着けずに終わっていた。塩鯖は「ジジの子が見たいなあ」とずっと言っていた。

 ジジが子供を産んでしばらくしたある日、ジジが突然なにかをくわえて部屋に入ってきた。たまに戦利品を持ってくるから何事かと身構えたら、子猫だった。塩鯖は死んだ子猫かと思ったそうだけど、私はモグラか何かに見えた。それぐらい小さな子猫が3匹。

 子猫に関してはあんなに警戒していたジジが、うちに子猫を連れてきたってことは、うちが安全だと信頼してくれてのことだろうと思った。いや、野良猫にはよくある話なのかもしれない。だとしても私はすごく感動した。だって、そんなに近くもない場所からうちまで、ずっとくわえて歩いてきてくれたんだよ。

 これはもう、なんとかしないといけないと思って、まず去勢手術の予約を入れた。ブッチはなんだかんだ言ってジジにべったりなので、ジジなしでは生きられないだろう、ならばどちらも避妊と去勢をしないと増える一方になってしまう、と思ったから。ジジの避妊は乳離れが終わってからにしないと、育児できないからあとにすることにしてね。

 で、あとは引っ越し先の私の実家に相談したらいいかなと、その日のうちに猫を飼いたいと相談に行った。そしたら、見事なほどの門前払いだった。もう、まったく、全然、一切、聞く耳持たずだった。まったく、感動するほど驚く。私はこのことで人が変わったと思う(それは後で別記事に書く)。

 結局、5匹の猫は、グレーのブチの亡骸を連れて帰ってくれた人に託すことになった。ブッチは一度去勢手術に連れて行ったが、小さすぎるとのことで帰された。一晩の絶食と初めてのキャリーでとても怖い思いをさせたのに、翌日にはちゃんと帰ってきてくれた、ブッチいい子。

 そして昨日(10/19)、5匹を託した。託す直前まで、ジジは塩鯖の膝でのどを鳴らしていて、ブッチは定位置で眠りこけていた。キャリーとゲージを持った知らない人が入ってきても、私たちを信頼しているからか全然怯えることもなかった。でも、キャリーとゲージに入れられたときはかなり怯えていたけれど。

 私たちは何度も何度も、ごめんね、ありがとうございます、よろしくお願いします、ごめんね、ごめんね、怖い思いをさせてと言った。そして、二人とも泣きつかれるほど泣いて寝た。

 朝、ジジとブッチがいたころはうるさいほどだった朝。今日はとても静かだった。夜中も起こされることがなかった。部屋に何か持ち込まれてるかもとか、チビちゃんが抜け出して大冒険してるかなとか、そんな心配もまったくない。だけど、とてつもなく寂しい。寂しい。

 ジジとブッチにはたくさん笑わせてもらって、ほっこりさせてもらって、疲れた気持ちを癒してもらった。たった半年だったけど、出会えて良かった。

 どうかあの子たちが、夏の暑さや、冬の寒さにさらされて、辛い思いをしませんように。屋根があって、ご飯があるところで、みんなで幸せに暮らせますように。長生きできますように。今の私たちができることは、それだけしかない。とても不甲斐ない気持ちだけど、できることは全部全部、させてもらったよ。私たちの前に現れてくれてありがとう。運命の猫になってくれてありがとう。どうか、元気で。

10月になりました

 中秋の名月をどうぞ~私はこの日、20時に寝たよ。こんばんは。いつも早く寝ています。今日だって本当はもう寝たい。

 なんだかんだと、忙しいような忙しくないような日々を送っています。祖母の葬式から、一度香川に戻ったりもしたし、極早生の収穫と出荷をしたし、家の改装が始まったし、ということは我々がこの家に住むのもあと1か月もないってこと。あああ、海のそばで暮らすの楽しかったなあ。徒歩1分で海って便利だったなあ。今度からは徒歩5分ぐらいで海だけども、道中街灯がなさ過ぎて危険なのだよ。いやマジで。

 いろいろ考えていたことがあったんだけど、日々の中に埋没してしまっているような気がする。でも埋没する程度のことならいいかなって思う。だからね、今真っ白な状態でこの画面に向かっているのよ。

 みなさん、みかんの種類をいくつ言えるだろうか。温州みかんにも品種があることをご存じだろうか。個人的には、あまりにもざっくり「みかん」と認識されているような気がしている。なんかこう、雑な感じよ。スーパーで「みかん」札で売られてそうな感じ。

 だからって細かく品種を覚えてほしいわけではない。じゃあ何を言いたいかっていうと「お気に入りのみかんを知っとくといいぜ」ってこと。

 うちの極早生は「はつひめ」という品種でね、これは青くても酸抜けがいいから甘い極早生みかん。このほかに、日南の姫とかゆら早生などさまざまある。これ分かりやすかった。はつひめが載ってないけど。

www.rakuten.ne.jp

 この一覧にあるのがいわゆる「温州みかん」なわけで、そりゃひとくくりにされたら「ちょっと雑よね」って思うでしょう? 思わんか。

 まぁ、そんな感じでいろんな種類があるということを知られていないのは、消費者にしてみればもったいないし、生産者にしてみれば惜しいなと思う。惜しい、とも違うんだけど。言い表しようがない「残念感」がある。

 だからぼちぼちペースにはなるけれど、いろんな種類があるよって伝えていきたいなと思う。

 初めて食べたゆら早生は本当においしかったよ。でもうちの「はつひめ」もうまいよ。総じて、極早生は青くても美味いんだよ。だから食べたことない人、食べてみてよ!

 ※うちの「はつひめ」は松山市にある太陽市に出しています。今のところ、70袋が1日で完売している勢い。「美味しい」を知ってる人の貪欲さはすごい。

 最近気づいたこと。けっこうね、親の言いつけを守っている人が多いんだよね。そりゃ言いつけは守った方がいいよ。きっと私らのために言ってくれたことだから。でも、もう賞味期限が切れてたり、勘違いしてたりもあると思う。

 人生でさあ、もう終わりだ道がないって思うときって、たとえ道があったとしても「その道は選んじゃいけない」って選べないことにしてるだけだってこと多いよね。選んじゃいけない道が多ければ多いほど、袋小路や行き止まりに遭いやすくって、なんてついてない人生なんだ、生きるのって辛いなあって思うと思うんだけど、それ自体が勘違いっていうか、親の言いつけっていう呪いがそうさせてるだけってことも、往々にしてあると思うんだよね。

 吉本隆明さんは「盗んだっていい」って書いてたこともあった。普通ダメって言うよね。でも生きるためならいいって。生きてなきゃ意味がないから、盗まず尊く死んだところで、終わっちゃうわけだからさ、その人の人生。生きなきゃ何にも始まらないってことだと思うんだよね。そこが大事なところ、最優先のところだから、そこをずらしちゃいけないよって言ってたんだと思う。

 で、親の呪い(愛ある言いつけ)に戻るんだけど、たぶん親から言われたことでずっと心に残っていることって、親自体も若かったころだと思うんだよね。例えば20代とか、30代とか。子供のころの30代ってすごい大人だけど、実際30代になったら「え、こんなもんなの?」ぐらいのものなんだよ。それぐらい未熟っていうか、完成されてないっていうか。

 そもそも人って年取れば完成するものでもないんだから、だから「大人って完成されてない」って考えたら、やっぱり愛ある言いつけは絶対じゃないんだよね。だから、一人の人間としての判断ができるようになったらさ、その呪いを疑ってみるのは大事なんじゃないかなって思う。そしたら、袋小路や行き止まりが減るかもしれない。ぐっと生きやすくなるかもしれない。でも、同時に「選択の責任」は増えると思う。それが自由ってものだと思う。

 ということで、世の中の良い子のみんな、そういうのないか? って考えてみてよ。

 私の呪いはね「いい子だね」だと思う。どういう意味かっていうと、トイレに貼ってある「綺麗に使ってくれてありがとう」と同じ。いい子だねって言われると、いい子にならないといけない、いい子じゃないといけないって思っちゃったってこと。だからいい子でい続けようとして、それで上手くいかないもんだから不良になってみたけれど、自分が嫌になって、またいい子に戻って(真面目だなあ、私)、でもこれってすごく不自由だと思ったところで塩鯖に出会って分かってきたんだよ。「いい子」ってそういうことじゃないんだねって。

 だから今は本当に楽。楽になろうぜ、みんな。