生きることは物語を作ること、をテーマに日々哲学するブログ

生きるとは自分の物語を創ること

日々のじだんだ ~見習いみかん農家二年目~

幸福論(のようなもの)

 普段からあんまり政治的な発言はしていないのだけど、これはちょっと思うことがあったので引用させていただいて、ちょっと思うことをまとめようと思う。

 SDGsについての記事で、私はこれが全てだ真実だとは思っていないのだけど、何某か納得するものもあって、さらに「ああ、そういうことなのか」って思ったことがある。

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 上記の記事を(私流に超訳しつつ)簡単にまとめると、世界の金持ちが生命の危険を感じて声高に始めたSDGsだけども、そこで謳われた「誰一人取りこぼさない」というスローガンは格差の是正のために必要不可欠な要素で、長い歴史の中で初めて金持ちから言い出したチャンスである。未来でも今のような格差に苦しまないために、また人類が未来を生きるために、本気で取り組んでいかなければならない、というもの。そんなに長くない記事だから読んでみてほしい。

 これを読んで思い出したのが、大好きな吉本ばななさんの書いたエッセイだ。彼女がいつだかの何かで、桁違いのお金持ちのお家に行った時のことを書いていた。それはとても楽しい経験として描かれていたわけではなく、むしろ本当に深刻なこの世の暗闇を垣間見たような描写だった。

 これを読んだ時は「縁のない話だけど、お金持ちでも運命に絶望することがあるんだなあ」くらいにしか思っていなかったが、政治的な話題でよく出てくる「富裕層」っていうのは、そして上記の記事に出てくる「世界のお金持ち」というのは、おそらくこれぐらいの桁違いの金持ちのことなんだろうなと思う。

 で、こういう人たちが遊んで暮らせるような仕組みが今の格差社会と呼ばれるものだとして、それは良くない、富の再分配をするべきだってことになったとして、真剣にSDGsに取り組んだとしよう。果たして格差社会は消え失せるだろうか? 私は消え失せないと思うんだな。

 でも、もしかすると今よりは格差が縮まる部分ができてきて、今日明日を生きるのに食うのに困る人が減るかもしれないし、飢餓で死んでゆく子どもが減るかもしれない。清潔な暮らしができる人が増えるかもしれないし、命をかけなくても安全な水が得られるようになるかもしれない。それぐらいのことは、できるんじゃないかと思う。

 それって素晴らしいわね。じゃあやろうよ、ってなるよね。やったほうがいいと思うのよ、私ですらも。

 でもね、実際にやろうとすると先進国と呼ばれる国々が取り組まないといけないことが圧倒的に多い。当たり前なんだよ、水が多いコップと少ないコップ、同じにするにはどうする? 多い方から少ない方に注ぐんだもんね。そういうことなんだと私は思うんだよね。

 それって言い方は悪いかもしれないけど、いかに満遍なく施せるかってことなんじゃないかな。もちろん、金持ちばかりが施しをしたらいいじゃんって話ではなくて、私のような人たちも少しずつ未来のためにできることをしていこうってことなんだけど。そうしないとね、数が多い存在はそれだけで暴力ぐらいのパワーがあるのよ。

 目指しているのはコップの水が平等の世界なのだと思う。長い時間をかけたら達成できるのかもしれない。でも私は、少なくとも私が生きている間にその平等が訪れるとはちょっと考え難いのだよね。

 だとしても、だとしてもだよ、私はSDGsの取り組みは続けていくべきだと思っている。きっと私はどう頑張ったって富裕層にはなれない。庶民のまま生活や自分の楽しみのためにお金を稼いで、使っていくのだと思う。ならばね、そうした行動全て楽しくやりたいんだよね。

 一時期はどっぷり自己啓発にハマって、多少なりとも経済を回すことが正義だと思っていたけど、そうではないなと今は思う。

 言い方は悪いけど、どうせ富豪にはなれないんだ。施す側の人間になったふりして、浅はかに良さそうに見えるだけのことにお金も時間も使いたくない。できるだけ自分が快適に、気分良く楽しく過ごしたい。それは決して楽ばかりしたいってわけではなくて(私はすぐ楽をしようとするので気をつけねばならないが)、しんどいことも大変なことも全部含めて、好きな人と楽しく毎日を暮らしたいなと思う。

 ちょっと追記。自分のしたいこと、好きなことにお金を使ったり、経験を積んだりしたいっていうのは、自己啓発にどっぷりだった頃も言ってた。あの頃と違うのは、本気で私のしたいこと、積みたい経験に時間もお金も使いたいってこと。

 自己啓発とか、何らかの講座やセミナーって、すごくわかりやすい言葉を、「最小公約数みたいな、最大公約数の言葉」を使うんだよね。それを聞いてると、あたかもそれが自分の考えや思いなんじゃないかって思えてくるの。まぁいわば洗脳ってやつなのかもしれない。その洗脳が優先になってる間は、何をどうしたってダメなのよ。自分のしたいことがすり替わっちゃってるの。

 だから、その洗脳が抜けるまでは空回ると思う。でもそれでいいんじゃないかな。空回ったり、違和感持ったり、反発したり、そういう過程を経て自立していくんじゃないかな。そしてそれが意識できるようになったぐらいから、自分の人生が始まるじゃないかと思う。

 簡単にまとめちゃうと「一周回って大人の反抗期を終わらせてから思う、自分のしたいこと、積みたい経験」にお金も時間も使いたいよねって話。もちろん、そんな面倒な過程を踏まなくても分かってる人は最初から分かってると思うけどね笑笑

 それが現時点の私の幸福論かな。

自分のためだけの楽しいことがあったっていい

 昨日、移住の先輩のお家でお食事会をした。お料理上手のお二人が振る舞ってくださったお料理が美味しすぎて、私は多分相当食べすぎたと思う。

 今回は中華料理を持ち寄ったのだけど、見てこれすごくない? 私はお店に来たのかと思ったよ。紹興酒も色々あったし、本当に美味しくて楽しい時間だった。

 そこでご主人から質問があった。

何をしている時が楽しいですか?

 改めて聞かれると思い浮かばない。今の生活はちゃんと楽しいし、私は夫氏が元気でいてくれること、二人でキャッキャできることが一番の楽しみだし喜びだから、何不自由ないと信じて疑っていないから。

 でもよくよく考えてみれば、幸せとか楽しさって一つに絞らないといけないものでもない。私の楽しみってものがあってもいいんだよなあと思った時、浮かんだのは「書くこと」だった。

 実際にこのはてなブログという場所は、私にとっての思考メモだったり覚書だったり、心の整理をつける場所だったりする。公開しているもののアクセス数を増やしたいとは思わないのは、この文章が誰のためかって突き詰めていくと、私のためでしかないからだ。

 一時期爆発的に増えた情報系のブログは、はてなブログの得意とするところ(なのか、そういうユーザーのために変わっていった気もしなくはないが)なのだけど、ああしたブログはターゲットがいて、アクセスしてもらうことで報酬が発生したりもするけれど、基本的には「役に立つ」から使われるものであって、役に立たないブログは閑古鳥。

 ちょっと脱線するけど、私はもう辟易している。「役に立つ」ってことに辟易。というか、意図的に作り上げられたものに、そしてその浅はかさに、辟易しているのかもしれない。

 バズもブームも生み出すことができる。もちろんその通りだろうし、過去に大ブームを巻き起こしたものも、きっとプロデューサーなり仕掛け人なりの存在があったのだろう。今だってバズレシピのリュウジさんなんてすごいなと思う。

 だけどその劣化版みたいなものが、かなり、相当存在していて、そうしたものに出会うたびに、うまく言い表せないけどとっても疲れてしまうのだ。

 この疲れがなんなのか、まだうまく表現できる自信はないけれど。

 で、私のブログね。私のブログは完全に古き良き(?)昔の個人の日記ブログのまんまだ。以前「役に立たない」って言われたことすらあるこのブログだが、役に立っているのだ、私にとっては。

 無目的に、書き散らすだけ書き散らして、サーバーを無駄に圧迫し、得られるものは私の自己満足。ただそれだけの場所なのだけど、とても大切に思っているし、今後も大切にしてゆきたいと思っている。

食べ物系ドラマいろいろ

 うちは動画配信のサブスクでAmazonプライムビデオを契約しているので、ほぼそこからドラマを見ている。ご飯時なんかは食べ物系ドラマがちょうどいい。ということで、見終わったドラマ(順不同)。テレ東だらけ。

晩酌の流儀

 美人が最高のビールのために全力を尽くす。どの料理もかなり美味しそうだが、それ以上に絞りまくるのがすごい。というか、ここまで絞ってグイっといったらアルコール中毒になるんじゃないかって思うぐらい。

 しかし、栗山千明の食べっぷり飲みっぷりはいいなあ。

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タクシー飯店

 渋いタクシードライバーの中華。仕事終わりの中華ではない、お客さんとのあれこれの中華。渋川清彦がすごくいい、この渋さはカッコよすぎる。内容的には少々傷ついていてもそこまでダメージを受けないようなライトな感じだが、役者が素晴らしいので深みがある。

 また、主題歌のフォークも最高に良い。ぴったりくる。最終回は主題歌好きには嬉しすぎる演出だった。

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絶飯ロード(現在season2)

 おじさんが車中泊して飯を食うだけ。それならば孤独のグルメがあるじゃないかと思うけど、あれ以上にマイナー路線で、かつ役者の汚さがいい。濱津隆之出世作と言えば「カメラを止めるな」だと思うのだけど、私はそれを見ていない。だからほぼこのドラマが初めまして。抜群に歯並びが悪くて活舌も悪い。食べ方もなんか汚い。でもそれがとてつもなくクセになる。

 と思っていたら、season2からは歯並びが良くなって活舌も良くなって食べ方も綺麗になった。濱津隆之さんのQOLアップのためとはいえ、若干残念。でも見るけど。ちなみに、season1では山本耕史さんが良かった。

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先生のおとりよせ

 設定が非常に複雑だけど単純にお取り寄せグルメが美味しそうなドラマ。かといってドラマの内容がペラペラというわけではなく、むしろ人間ドラマがぎっちぎち。ただ、設定が複雑なだけだ。

ドSで不愛想な官能小説家とドMで明るくフェミニンな漫画家という、正反対な2人が共同で作品をつくることをきっかけに始まる、「おとりよせライフ」が描かれた物語。

 ドSかドMかなんてどっちでもよくなる。反転すれば同じだしな。

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スナックキズツキ

 原田知世、それだけで見たくなる不思議。丁寧に作られる喫茶メニューに癒されつつ、誰もが少しずつキズついているんだと思い、ちょっと人に優しく、明るくなれるドラマ。かもめ食堂とはまた全然違う(同時期の亜種とも全然違う)、原田知世劇場。塚地武雅さんがいい、すごくいい。エアギターぐらいでスッキリできたかな、心配だ。

「夢って、叶っただけじゃダメなんだ。離れないように背中に括りつけて歩き続けなきゃなんない。私は下ろしたけどね。」というセリフがとても印象深い。叶っただけじゃダメなのかな。ダメなのかもしれないな、現実という場所では。そう考えると誰しもがとても不自由に思える。でも、自由か不自由かだけが幸せの定義じゃないんだもんな。

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シェフは名探偵

 名探偵っぷりが斬新で面白かった。料理はどれも美味しそうだけど馴染みがないフランスの田舎料理がメイン。でもとにかく美味しそうだった。だいたいドラマの登場人物なんて、一癖も二癖もあるものだ。完璧な人なんてほぼいない。でもそうじゃないと話にならないわけで、ならば登場人物のクセこそが自分好みかどうかってことが、ドラマを最後まで見られるかどうかの分かれ道なのかな。そんなことを考えてしまうようなドラマだった。

 石井杏奈さん可愛いくてすごく好きだ。プリズムにも出てて、こっちも好きだ。

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おやじキャンプ飯

 近藤芳正さんが主演で、あんまりしゃべらない。本当にあんまりしゃべらない。カメラのカットもポンポンと切り替わることなくのんびり進む。だからのんびり眺めていられる。めちゃくちゃドラマチックなことも、あるような、ないような。だけど全体的にその抜け感がすごくいい。

 キャンプものもとても流行ったけれど、いろんな高級グッズがひしめくキャンプより、こういう日常感のあるものがたくさん出てくるキャンプいいな。


深夜食堂

 これはおまけ。随分前に見終わっている。このドラマでフォークソングを見直した。というか、フォークソングが沁みる年齢になったってことかもしれない。タクシー飯店の主題歌を聞いていたらこっちも聞きたくなる、そんな感じ。