生きることは物語を作ること、をテーマに日々哲学するブログ

生きるとは自分の物語を創ること

日々のじだんだ ~見習いみかん農家4年目~

大河ドラマ記録 太平記48-49

ご無沙汰です。太平記、無事にフィナーレ。全部まとめて書いてしまえ。

尊氏、歳をとってもまだまだ戦の日々。といっても相手は弟だったり息子だったり。ここまでくると可哀想でしかない。しかし太平記足利尊氏は人格者だし、分別をわきまえた人だし、人の気持ちを理解する人だし、一体何が悪くてこうなってるんだろうかと思わざるを得ない。

しかし様々な人がいてこの世界が成り立っているわけで、尊氏が尊氏なりの正しさで生きたとしても、それが誰もにとって正しいかどうかなんて誰も判断できない。だから後出しじゃんけんですら「あれが良くなかった」なんてことは到底言えないのだ。先人たちは決して愚かだから戦(戦争)をしていたわけではないんだ。むしろ、今こうして平和に一生を終えることができる時代に生きている私たちの方が、圧倒的にこの国のことや、地球の未来のことを考えていないのかもしれない。

ただひとつ思ったことがある。それは「戦を正義だと聞かされて育った人は、戦で勝つことが正義だと思う」ということだ。尊氏は戦がしたくて戦をしていたわけではなかったと思う。だけど息子二人は戦したがった。それは戦いの中で生きた尊氏というヒーローを見ていたからだと思う。こうした悲しい連鎖は幕末のころにもあるんだけどさ、本当に悲しいよねえ。

と、そんなとき見かけたポスト(ツイート)。

「平和を祈っていても、平和は来ません」
頭をガツンと殴られたようだった。

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今日は終戦記念日。戦国時代に起きた国内の戦も、第二次世界大戦も、全部すべてが一緒だとは言わない。だけど人と人とが殺し合ったことには違いない。この記事を読んで、何度でも考えないといけないことだなって思った。

大河ドラマ記録 太平記46-47

一気に見ちゃうと大変だ。

直冬が「お兄ちゃんのボクだって活躍したいんだもん!」と飛び出して行ったところで前回は終わり。と思っていたけど、九州で挙兵するところまであったんだった。でも京とは距離があるよね。ってことで京。

師直と直義との確執は深まるばかり。師直はどうにかして直義を殺したいんだけど、さすがに実弟とあって尊氏は生かしたい。だから暗殺も阻止して逃がした。その時ちょうど尊氏は挙兵した直冬を射ちに出陣するところだった。

この出陣には師直も一緒に行くのだけど、この師直、二条の君(公家の姫様)に「尊氏邸を囲んだとき天下とれるチャンスだったのに」とかさんざん言われてちょっと気持ちが揺れてたりする。歴史を知っている私は主君殺しがどうなるか知っているのでオススメはしないけれどもね。

そんな邪な気持ちのままに師直と尊氏は福岡まで行くんだけど、そこにきて直義が南朝方に降伏して寝返り、師直を討つと。それって尊氏も敵に回すってことじゃん、まさかそこまでして「正しい政」にこだわるかね、、と思っちゃいましたね。もう執着もここに極まれり。そうなるともう人ではない、そんな風にさえ見た。

この戦、尊氏&師直勢はコテンパンにやられて敗れる。そして直義から師直兄弟の身柄を要求される、が、尊氏それを突っぱねる。この時の尊氏かっこよかったなあ。実際にいつだって死んでいいやと思っていたのかもしれない。対象ならば決断するべき時というのがあるものだと思うが、ここまでの尊氏はそれを避けてきたようにも思う。その全てのツケという毒を、分かっていながら少しずつ飲んで、致死量に達してしまったかのような感じ。

この時、師直も邪な気持ちを持っていたことを告白し、尊氏のためになら死ねると自害しかけるが尊氏がそれを制するというシーンがある。ここはかなり良いシーン。ジーンとした。でもそんな師直を止めてまでして生かしたのに、京への帰り道で師直兄弟は暗殺されてしまうのだった。ここまでが47。

尊氏が晩年の北条義時のように「後々の憂いになるから」と人を殺められる人だったら、こんな血で血を洗うような戦をしなくても良かったのだろうか。いやそんなことはないだろうな。でも、邪魔だから殺したとしても新たに邪魔な奴が出てくるだけなんだよね。じゃあ誰も殺さずに平定を手に入れられるかというと、必ずしも手に入るとは限らない。それは今だってそう。

だけどどの時代の人だって、家族や大切な人を失いたくはないわけで、だから戦いのない世を求めてきたわけで、そういう名のない大きな望みが積もり積もって、今やっと実現できそうな気がするって思えるんじゃないかと思う。いやそれこそが危険な幻想なのかもしれない。

私は人間てとても野蛮で暴力的で残酷な面を持っていると思うのよね。例え邪悪さから遠ざけて育てたとしても、そもそもその種を持っているのだと思うのよ。そんな邪悪な種を持っているからこそ、淡い期待や危険な幻想を夢見てしまうんだと思うのよ。それが今この現実で果たせることなのかどうか分からないけど、少なからず何百年か前の誰かからのバトンなんだと思うのよね。次に繋いでいかねばね。

大河ドラマ記録 太平記43-45

滞ってましたね、見てなかったんですよ。

暑いから涼しくなるもの見ようと思って「北野誠のお前ら行くな」を見てたんですよ。これ、なかなか不謹慎なようで不謹慎でなくて面白いです。ちゃんと怖いところは怖いし。

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個人的には髪が伸びる人形のひなちゃんをカジュアルに持って心霊スポットに行くのが楽しかったですね。和歌山の人形供養の神社の宮司さんが「お人形さんは見てもらえること、遊んでもらえることが嬉しいですから」と言ってたから、ひなちゃんもきっと楽しかっただろうなと思います。

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私は幽霊も霊も信じますよ。信じますけどそれ自体はそれほど怖くないです。一番怖いなあ嫌だなあと思うのは生霊です。人間が一番怖いよ。

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さて気を取り直して太平記。43話はね、後醍醐天皇がいなくなってからも南北朝との戦は絶えなかったので、尊氏は実権を握っていた北畠さんと密談して和議を結ぼうとしたんだけど破談したよというのがメイン。どうしても公家一統の政じゃないといかんらしい。そういうこだわりがだな、戦だらけにしてんの分かんねえかな。

そんなこんなで戦だらけなわけで、武家側では高師直らが大活躍。あんなにお堅かった師直が欲望のままにやりたい放題。いや、師直だけじゃなくて多くの武家がそうだったんだろうと思う。なぜなら、政の実験は尊氏ではなく直義がやってたわけで、戦で武功をあげてもろくに恩賞がないわけだ。それに、そもそも尊氏が侍大将だったらついていくって思ってた人たちだからね。とにかく気に入らんのよ、尊氏じゃないのも、さらに実弟の不公平さも。

というわけで、どうする尊氏。

44話は師直vs直義。師直は尊氏と組んで尊氏邸を5千の軍で取り囲ませ、直義は幕府から降りろと説得。でもすごい嫌がる直義。「自分は戦が下手だから政を頑張った。それなのに政さえ取り上げられたら! どうしても降ろしたいなら殺せ!」と。

分からなくもないですよ。コンプレックスなんて誰でもあります。でもお兄ちゃんはカリスマ性もあって戦も上手で頭も良くて信頼も厚い。それに比べて自分はどうだ、自分の存在意義とは何ぞや、そんな風に思っちゃいますよね。だからきっと誰よりも真面目に政に向き合って、欲望のままに欲しいものを手にする武家たちを見下したんだと思う。でもな、政にしがみつくのも直義の欲望なんだよ。それに気づけなかったから苦しかっただろうに。

結局佐々木判官の手助けもあって直義は降伏、尊氏の息子の義詮を将軍に据えることになった。そして直義の発した人事異動は帳消しになって前のメンバーで幕府を運営しようとしてたところ、直義の養子の直冬(尊氏の子)が反発、という流れ。尊氏休めないね。

もうここまで来たらラストスパート。尊氏が心休まることがなかったことが伺える。尊氏はとても優秀な人で人格者であったのかもしれないが、それでも世を平定するということは難しいことなんだと改めて思う。そりゃそうだ、みんな思うことが違うんだし、やりたいことも違うんだしね。尊氏がどれだけ戦のない美しい世をと願っても、息子でさえも「戦って武勲をあげます!」とか言っちゃうんだもん。いや尊氏は戦したくないって言ってるやん、聞いてんのかいってなるよね。でもな、そうやって父親やそのほかのかっこいい武将たちが成り上がっていったのを見ているんだから仕方ない気がする。それ以外の輝かしい道を知らないんだから。

そう思うと、徳川家康は本当にすごいなと思う。戦をなくしちゃったんだZE! もちろん、家康だけがポコッと生まれて成し得たわけではなく、その前に室町初期よりももっと荒れ果てた世があって、信長や秀吉や、その前に武田今川北条などなど名だたる武将たちが平定のための紆余曲折を踏んできたからこそだとは思うのだけど。

それにしても、歴史は面白いよなあ。すべて生きてた人たちの行動が創り出したものなんだもんな。それが欲望であれ大義であれ、誰かが望んだ未来が実現してきたのが歴史なんだと思うと、ベタながら今を大事に生きようって気になるな。