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相変わらず海外ドラマ

映画

video.foxjapan.com

 私の場合、間違いなく「人間不足」になると海外ドラマにはまっていると思います。こんにちは。パン焼いたよパン。アンロールパンだよ。

 塩鯖にボーンズの説明を長々としていたら「ふーん、昔の『きらきらひかる』みたいなやつ?」って言われてややへこみました。そうです、テーマはそんなところです。

 あのドラマも面白かった。なにが面白いって、死んだと思っていた妹が云々とか色恋が云々とかではなく、一話の最後に女4人がこじゃれた飯屋で美味しそうなものを食べながら飲みながらぐだぐだしているところが好きだった。

 生き方、死に方について考えることもできたけれど、結局生きている間どれだけリラックスした時間を持つことができるか、ということが人生の有意義さにつながるんじゃないかと思ってみていた。

 ボーンズは違います。アメリカのドラマなので有意義さの方向や得る方法が日本とは違う。いいなあと思いながら見るところも多いけれど、げげってなるほどあけすけだったりもする。でもなにかしながら見ていることが多いので、どこかでちゃんと見直そうと思う。

 そんな「ながら見」の中でも、あれ?と思ったエピソードがあった。ひとつの女性の死体を、天才ブレナン博士は自分だと信じ込んでしまうエピソード。上下が反転するメガネをかけたとする。当然上下が逆さに見える。しかし、人間の脳は三日で慣れるんだそうだ。三日経過すると上下が正しく見えるようになる。そしてまた上下が反転したメガネをかけると、また三日で正しく見えるようになる。脳が誤解を処理するまでに三日。与えられた環境に適応するまで三日。

 人間とは便利なようで不便な生き物だ。間違っていることが分かっていても自分なりに誤解を解いて腑に落とすと考えると、客観性という言葉がばかげてくる。どこまで行っても主観からは逃れられない。その人がその人であることを放棄することはできない。変えたくても変えられないことがたくさんあって、窮屈な生き物なんだな。

 と、悲観的なことばかり書きましたが、その人であることをやめる必要なんてないのが常。「急ぐ」の大半がその人だけの理由、超自己中な「急ぐ」であることのように、多くの他人にとってその人がその人であることも、さして問題でもない、どっちだっていいことなのだ。そう思うと、生きるのって楽になる。

 ブレナンさんほど天才だといろいろ困ると思うけどねえ。

 さ、残りのパン焼こう。ブレッチェンも焼いておくのだ。塩鯖のために。この「ために」もきっと誤解だが、自己満足のためだからいいのだ。楽しい。