生きることは物語を作ること、をテーマに日々哲学するブログ

生きるとは自分の物語を創ること

日々のじだんだ ~見習いみかん農家4年目~

いや、頭の体操っていうかさぁ

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なんかもっとガチな感じになったけど。

嫉妬も欲望の一つだと思えば、そっか、しょうがないかって思いますよね。

でもな、あんまり嫉妬しなくなってるんだ、全体的に。もっとぼんやりした何かになってるんだ。老眼の進み具合と同じ感じで、感情の老化が進んでるのかねえ……。まだ39歳だが。

普通に仕事に行った今日、ミサイルが発射されたのを知ったのは車を降りる直前で、それ以降のことは知らず。17時過ぎに車のテレビが国会中継やってて、なんで伸びてんだと思ったらその対応がどうとかっておばさんが言ってました。厭味ったらしく暗に表現するのよせ。8時間労働してた私には分からないじゃないか。

まぁ、ざっくりとニュースを聞いていて思ったのは、私、愛国心強くなってきたなあってこと。基本的に共産主義思想であることには違いないんだけどね、でもやっぱうちの国にミサイル打ってくるとか、うちの経済水域で魚とってるとか(イカでも一緒だ)、間違ってるだろうって思った。ルールを守れ。そう、ルールを守れ、だ。

そもそも、時間を守らない人を信用しない狭量な私。いろんな角度から考えても許せるわけがないです。

TNKISMの稼働中テーマのお知らせ

ニュースから拾ったテーマを談義する
「乙武洋匡:自分をようやく理解してもらえた」について談義する。

乙武洋匡「自分をようやく理解してもらえた」(東洋経済オンライン) - Yahoo!ニュース

哲学カフェからのテーマ
「もう日本って限界なの?」について談義する。

日本の借金はもう限界
限界集落
限界まで消耗しないと「がんばった」って認められない日本社会
日本の教育の限界を感じる

「嫉妬とは何か」について談義する。

ある高野山大阿闍梨が、断食を何日も繰り返し煩悩を断つ(向き合う)修行の果てに、どうしても断つことが出来ない欲望にたどり着いたそうです。それは食欲や性欲、睡眠欲などの生理的な欲求ではなく『嫉妬心』でした。他の高僧に対する世間の評価がどうしても許せなかったそうです。


タモリさんの「戦争が無くならない理由」を談義する。

『LOVE&PEACE』という言葉があるけど、LOVEさえなければ、PEACEなんだよ。その生き方は、かぎりなく動物や植物の世界に近いな。ただ、『好き』がない世界というのも、ツマラナイだろう? 難しい問題だよ、これは。どうしたもんかね?

※ほかの哲学カフェからテーマをお借りした場合、リンク先にどちらの哲学カフェからお借りしたのかリンクしています。先人たちは素晴らしい。

私が書いていないのは、私のサイドジョブが忙しいからであります。ああ、先陣切って無駄に語りつくしたい。

純文学って難しいんだろうか?

 適当に宣伝と、適当なぶつくさです。こんばんは。

 TNKISMは哲学カフェのテーマをお借りすることにしました。お借りしたテーマ2点、思いついたテーマ1点でお待ちしております。もちろん私も語るぜ、そのうち。

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 さて、純文学だよ。

 会社の隣の席の女の子が本好きで、だけど純文学はよく分からないというので春樹の1Q84を貸したのね。いきなり長編ですけど、たぶん一番読みやすいんだよ。下手に短編貸すほうが「なにこれ?」になる可能性大だと思う、村上春樹

 私は村上春樹に限らず「純文学」が好きですが、純文学が何かって言うのはわかりません。ボーダーがないところだと思ってます。だからあなたが東野圭吾に純文学性を認めるのであれば、それは純文学だと思う。私にとっては違うだけ。

 隣の席の子は、何をテーマに読んでいいか分からないのが苦手だ、と言いました。だから1Q84もミステリ的に読み進めていて、リトルピープルや空気さなぎが解明されるとどこかで信じていたようで、否定はしないが肯定もしない私の姿勢に、多少やきもきしたようです。テレビピープルと一緒だと思ってるわ、ぐらいしか言えないってそんなの。

 目的を持った読書、というと私の場合専門書になります。っていうとぎゃふんという顔をするので面白かったですが、なにかな、この違和感。

 私の中の純文学は、人類(あるいは個人)の大きなテーマに対して、改めて気づくような本質的な部分を刺激するもので、喜怒哀楽や妬み嫉妬、歓喜、悲哀などひとつの感情を大げさに描くのはちょっと違うな、と思ってます。とことんまでやると面白くなるけどね、ドン・キホーテみたいなね(やっぱり古典かよ)。

 なので、私の勧める本はどうにもいただけないものが多かったようです。っていうか、1Q84博士の愛した数式しか読んでくれませんでした。残念。

 私の好みの本はハードルが高いと言われましたが、決してそんなことはなく、なんでも読める人が一番すごいと思います。すぐに断念しちゃう私。きっと永遠に読めない1984

 私は想像の世界での自由がほしいんだよね。想像力は無限大とか言うけど、自分一人だと限界があるんだ。特にもう立派な大人になっちゃったわけだしさ。大人になって何が悲しいって、合理的すぎて遊びがなくなったってことなんだよ(大人になってもそれを持ち合わせている人もいる)。シナプスがいつもの回路を通っていつもの場所に繋がっちゃうわけよ。全然自由じゃない。その窮屈さをパーンと壊してくれるのが、想像力を駆使する読書、映画、芸術、なのよね。

 というわけで、純文学は「だからハードルが高い」ということはない、と思います。



 こういう、くだらないことをぐだぐだ考えているとき、SNSで「私だけだと思っていた!(けど違ったみたい。だからシェアするわ!)」的なものに絶対ひかっからないだろうなって思う。たぶん私だけがぐじぐじと、ぐだぐだと考えているんだわ。そう考えたら、なんだかシリウスの向こうの冷たいきらめきみたいな気がして、悪くないかなって思った。ブレようにもブレないんだもん。メンドクサイ自分。