生きることは物語を作ること、をテーマに日々哲学するブログ

生きるとは自分の物語を創ること

日々のじだんだ ~見習いみかん農家4年目~

源平だらけの屋島

 おはようございます。昨日は屋島に遠征ポスティング。

 屋島源平合戦の舞台にもなったという伝説がある場所。
 塩鯖の部下の結婚式があって、塩鯖と友達を送っていったことがある場所。
 とにかく遠いイメージしかない場所である。だいたい車で1時間と少しで到着したから、ぼちぼち遠いぐらいであった。それよりは、山奥に行く方が気分的には遠い気がする。

 初めてのうどん屋に行った。この様子をid:t_katoさんの如く孤独のグルメごっこをしたかったのだが、ゴローはうどん一杯で語らないだろうと思う。けれどまぁ、気分だけでも、と多少乗り気になったが、私はこういうのがすごく下手だ。逆に塩鯖は不意打ちでゴローごっこや乱歩ごっこをするぐらい、変に上手だ。

kato.hatenadiary.com

 近くに大きな通信会社がある。そのためか、店に到着した12時過ぎはいっぱいで行列。だけどうどんだ、すぐに順番は来る。店内を見回すと、やはりIT系っぽい男性が多い。時々「連れてきてもらった」風の女性がいる。近くで工事でもしているのか、作業員風もいる。老いも若きもお上品に食べていないのがいい。

 麺を楽しむなら釜揚げだが、私はこの日炎天下(晴れると思ってなかったので油断した)の中5キロ歩いていたので、熱いうどんは絶対無理。かといってぶっかけも出汁次第なので積極的に選びたくはない。ということで、冷かけ+おろしトッピング。そして塩分が出過ぎていたのでゆかりのおにぎり。

 美味である。美味ではあるが、劇的な美味ではない。うどんが太い割には茹で上げほやほやをきゅっと氷水で締めた麺はプリプリで粉っぽさはゼロ(下手なうどん屋は小麦粉感がある)。出汁も良い塩梅で食べやすい。多くの人は肉わかめぶっかけを頼んでいたが、濃い味にこの麺の組み合わせは、男っぽくて粗野で美味しいだろう。

 二度目も行くかと問われると、わざわざ足を運ぶことがなければないような気がする。けれど決して不味いわけではない、美味しいうどんが近場にあるためだ。近場にこのお店があったら、そりゃ通うだろうよ、と思う。

 ところで、私はうどんとパンをよく食べる。しかし、一向に減らないこの体重。グルテンを抜けば多少変わるだろうか。痩せていたころの食生活を思い出すのだが、米すらろくに食っていなかった。しかし、一時的にはまっては冷凍うどんと鳥皮を塩味で煮て食べてたり(鳥皮うまし!万歳!)、ペペロンチーノばかり食べていたりした。グルテンを抜いたことはほとんどない。むしろ、グルテンこそが炭水化物ぐらいの勢いだったタンパク質の間違い。タンパク質は、、卵で補給してたっぽい。

 おそらく一度増えてしまったから、落ちないのだ。一度落とせば、キープできるのではないか?

 塩鯖は食べるのが好き。一緒に食べるのが一番好き。だがしかし、お前は太らないが私は太るのだ。健康被害が出て食事制限をするようになっては元も子もない。ということで、ストレッチと筋トレ(一応やってる。なのに筋肉はついたが体重は一向に減らない)に加えて、多少の食事制限をしようかと思う。

 いやね、ぽっちゃりでも可愛らしいならいいのだよ。私の場合、ただただたくましくなるのだよ。今の体重、高校時代と一緒。自由に飲み食いするとここでキープされるらしいが、加齢による限界突破のラインはもう見えている。

 ひとつだけメリットがあるとしたら、細々だったころは間違いなく炎天下に5キロも歩けなかっただろうが、今は辛いだけでまだ歩こうと思えば歩ける。体力は、とてもついているような気がする。長時間歩くと腰に来ることも十分考えられるが、マイペースに歩くのであればきっと10キロ近くは歩けるんじゃないかと思う。体重ゆえか、筋肉ゆえか、いやバランスの問題だろうけれど、少なくとも不健康に痩せていたころよりはずっと健康的、ということだ。

 しかしな、昨日のように多少無理をすると後で激烈に塩分が欲しくなり、梅干しの塩漬けなどとふざけたものを食べ、水分を取り、お腹を壊し、翌朝も疲労が抜けないという悪循環を生み出してしまう。そろそろこれを断たねばならぬ。難しいなあ、もう。

 とりあえず、炭水化物と甘いものの摂取を意識して減らしてみよう。うどんは週に1回まで、な。グルテンも炭水化物も両方減れば、なんか変わるだろうという浅はかさです。

梅干しに事件が起きました

 そういえば、台風がきていたのだった。みなさんのところではどうですか? 私は「蒸し暑いばかりで雨さえ降らない、どういうことだ」と思っていましたが、塩鯖曰く夜中の2時ごろにすごい雷と雨だったそうです。爆睡してたよね。雨とか風とか、やばいと思ったら命大事にね。

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 おはようございます。先日漬けた梅干し、無事に梅酢も上がってきてよしよしと思っていました。これがつけたばっかりのころ。

 そして今朝、えらい梅の香りがするじゃないのと思って見て見たら、ジップロップから液漏れしているよう。ヤバイ、梅酢が減り過ぎてしまう! ということで、瓶に詰め替えました。

 ジップロップでつける梅干しの場合、ままあることのようです。瓶、蓋、菜箸はきちっと消毒し(うちは熱湯消毒+パストリーゼ)、そっと梅を移し、梅酢で満たして蓋をする。これで土用まで待つ。

 梅ジュースは若干発酵していたものの、塩鯖が転がしてくれていたそうで綺麗に仕上がっていた。実家からもたっぷりもらったが、あちらは完熟梅、こちらは青梅。味が違うのがよく分かる。

 発酵するとどうなるのか。白い泡が出てくる。程度にもよるが、香りと泡の程度ならば沸騰手前ぐらいまでゆっくり沸かして、瓶に詰めてしまえば良し。しゅわしゅわしても沸かせばいいらしい。発酵をそのまま進めると、アルコールになり、やがて酢になる。これは日本酒と同じである。

 どうにも無理だこの匂い、ということならば、破棄するしかないかもしれない。ちなみに今年のわが家の梅シロップの梅は、すべてパンパンになっていた。発酵してた、ということである。しかし加熱後のシロップ自体は何ら問題ないようなので、私はそのまま飲むつもりよ。

 改善点をあげるとしたら、砂糖と一緒に付け込むときに、梅を焼酎消毒してからにしよう。どれだけ気を付けていても、雑菌を無にすることは、できないことだからな。

 朝ドラの後のあさイチを、流れで見てしまうことが多い。先日は「菜箸」、今日は「新型栄養失調」だ。女性ターゲットとはいえ、週に5回もよくネタが尽きないねえ、と思う。関心を通り越して感動だ。華丸大吉さんになってから、大吉さんの朝ドラコメントがとても楽しみです。

志賀直哉、意外と長生きしてた件と、朝ドラ

 おはようございます。今日は台風が来るらしい。そのわりに、風もなく蒸し暑く雲は重苦しい。蒸し暑さだけを吹き飛ばしてくれないかしら。

 母がいとこと旅行に行くらしい。どこがいいかなあ、新幹線近くの温泉がいいんだけど、と言っていたので、城崎温泉は? と聞いてみた。

志賀直哉かあ……いとこも読んでるはずだなあ、『城崎にて』」

 と、母はつぶやいた。母は私よりも近代文豪の作品を読んでいる。だから母を前に「文学ババアです」とは到底言えない(そもそも、私は好きなものしか読んでいないのだけど)。

 よし、読んでやろうかいと思ったのが今朝。青空文庫にないやんけー。まだ著作権切れてないやんけー。いくつかは読んだ記憶があるが、おそらく19歳ぐらいのときに学校近くの古本屋で、10冊80円ぐらいになってたぼろい文豪たちの本の塊の中にあったのかもしれぬ。

 暗夜行路と百鬼夜行を間違うぐらいだから、志賀直哉先生も「あらら、アホがおるわ」と言ってくれるだろう。しょうがない、どこかで探すか「城崎にて」(菊池寛志賀直哉について書いているものはとても読みやすくて心揺さぶられる)。

 さて。

 朝ドラである。泣ける、朝から泣ける。才能がないのは、スズメちゃんのせいじゃない。だいたいにおいて、才能がないのはその人のせいじゃない。それなのに、それだからか、才能がないことを罪に感じてしまうメンタル、泣ける。最近の朝ドラで泣ける人は、工夫とか切り替えとかうまくできない、不器用な凡人だろうと思う。

 私は凡人であるから、努力が報われるかもしれないこと(報われないかもしれないより、報われるかもしれない可能性が低いのも知っている)、才能の前に凡人は呆然とするしかないことを知っている。もうけっこう良い歳ではあるんだが、「さっさと見切りをつけて次にいけばいい」とは言えない。たぶんまだ圧倒的な才能の前に行くと、私は呆然と見上げる気持ちで何時間もいられるだろう。

 スズメちゃんが漫画家を志してから今までのストーリーは、いろんなことを考えさせてくれる。

 漫画家という生き物は、特に作中の絵をかいているくらもちふさこ先生なんかは、もう神か宇宙の真理かぐらいの存在で、後読みの私でさえも絵を見ただけで感受性が刺激されすぎて泣けてくる。萩尾望都先生もそう。この二人は私より10歳ぐらい上の年代の人が愛読していた漫画家さんだけど、なんかもう桁が違いすぎるのだ。

 そういうわけで、私は神か仏かぐらい敬っているけれど、彼女らは決して「漫画を描く」ということが目標や夢ではなかったはずだ。自分が幼いころ読みたい漫画がなかったから、じゃあ自分でジャンルを作って書いてやる=未来志向の少女たちも楽しめるSF作品で、かつディープにもライトにも楽しめる、あくまで少女漫画、とか、魔法の国でもよその国でもない、またプリンセスでもない当たり前の少女の心理描写の漫画とか、とにかく「自分が欲しかったもの」を形にしたのがかのお二人だろうと勝手に推測している。

(追記:「漫画を描く」が目標や夢ではなかったのではないか、と書いているが、まずは漫画家という土俵に上がらねばならないわけで、必ずしも目標や夢ではなかったわけではないと思う。目指そうとしているものが「漫画家」ではなく、「こんな世界(ジャンルや系統)を漫画にし、描き切ること」がそうだったのではないかと思う。そういう意味では、漫画家というのは方法のひとつだったのかもしれない、と勝手に解釈している)

 彼女たちの夢は、ごく個人的なものでありながら、当時の女の子たちが求めていたものであったのだろうと思う。それを作った人たちなのだ。まさにパイオニア

(追記:どっかの日記に書いた、登校拒否の女の子を突き詰めてゆくと50代の心にも響くという普遍性の話し。まさにこれだなと思う。たぶん、私たちの多くは共通したものを持っている。青春真っただ中でも、鬱でよろよろでも、超元気すぎてバーサクモードでも、この普遍性ってあんまり変わらない。見えるか見えないか、ただそれだけのことなのだ。ちなみに、私はポスティングするようになって野良犬をよく見るようになった。意識してれば見える、というただそれだけのことなのだ)

 しかし凡人の私はどうだ。まぁ、まずくらもちふさこ先生にはなれない。いくえみ稜先生にもなれない。太宰治にもなれなければ夏目漱石にもなれない。当たり前だ、私は私以外の何物にもなれないのだから。

 ということに、気づくのが遅すぎた(ガッデム)(今気づいたわけじゃないよ、一応言っとくけど。けどそういうことをを明確に意識する前に「諦める」という方法を選ぶことが非常に多かった人生だなと思う)。

 パイオニアは、パイオニアを目指してなるものじゃないと思う。人の希望や要望を拾っていたら、パイオニアにはなれないのだと思う。どこまでも、自分だけの完成度を求めるとき、それが未知の領域になってるんじゃないかって思う。

※ここで引用しようと思ったジョブスのiPod水没の話し、あれはソニーウォークマンの逸話とすり替わっていたそう。でもまあいいじゃない、ジョブスっぽいし、ソニーっぽいよね。
www.netlorechase.net
良い記事書いてくれてありがとう。

 あ、ちょっと待って、パイオニアの話になってない!? なにも私、パイオニア目指したいわけじゃないのよ。自分だけの「こうなりたいな」を目指したいなあという話を書きたかったのよ。

 誰かになろうと思うと、人は苦しいのかもしれない。誰でもないものになろうとすると、やっぱり人は苦しいのかもしれない。一番幸福なのは、そんなことも考えずにただ忙しく終わる一生なのかもしれないが、そんなのは今の緊張感のない私だから言えることで、数年前の多忙な私であればきっと違うことを言うだろう。人は本当にワガママで面倒くさい。

 間違った目標の持ち方なんてものは存在しないだろうが、頑張りどころを間違うことはあるだろう。その時「あ、ここ頑張ってもしょうがない」って気づけたら、人生は順風満帆かもしれない。けれど、それでは学べないことがあるから、わざわざこうして一人一人が違う人間に生まれてきているのだろうね、と思う。

 だから今朝のスズメちゃんの涙には価値がある。人生詰んだと思う経験、絶望、もう終わったと感じる瞬間、きっとそこからが本当の人生なのだと思う。

 せっかく生まれたのだから、偉人になろうがなるまいが、有名人になろうがなるまいが、そんな人の評価を気にせずに思う存分自分らしく生きればいいかと思った。なので私はこれから本当の「叶えたいこと」を探しに行く。

 どうでもいいけど、最近のマイブーム。インスタント冷やしラーメン。普通の塩ラーメンとかで作ります。今のところ塩ラーメンが一番うまい。