特別つまらんよ。

螢・納屋を焼く・その他の短編

螢・納屋を焼く・その他の短編

 あくまで個人的な独り言。今日、のぼうの城の作者さんが出演していた番組があって、もともとあの人は脚本家になりたかった、そして脚本の賞を取った(追記:オリジナル脚本『忍ぶの城』で第29回城戸賞を受賞、4年後に小説化、『のぼうの城』として出版)けど、原作がないものは映像化しづらいという理由で小説にしたとか。どこまで本当かわかりません。でも、ぺらっと見ただけではコミカル過ぎるのでついていけない気がする、と思って断念したのだった。表紙がオノナツメなんだから見ないわけないじゃない。

 今度は村上水軍らしい。いよっ! ご当地! キャラクター増えたりするのかな。

 それはさておき、初期の村上春樹の短編集を読んでいる。何度となく読んでいるがやっぱりいろいろと居心地がいい。登場人物が多い小説は苦手なのだ。それは単に私の処理能力が低いから、と言ってしまえばそれまでだが、一人一人を考えていると、手に負えなくなるのだ。だから人数は少ない方がいい。

 人間には最低でも二面あるとして、二人いたら、すでに合わせ鏡のようになる。手を繋ぐ。片方が震えるともう片方も震える。その波紋が湖に落とした石が描く弧のように広がり、さらには向こう側にも移り、錯誤して響くわけだ。

 納屋を焼くが特に好きだ。これは勝手な解釈だが、ノルウェイの森の「先輩」と「自殺した同級生」は同じ種類の人間で、他者を浸食する狂気ゆえに自ら命を絶ったのか、あるいは完全に飼いならした、もしくはそれそのものであるから生きているのか、の違いだけで、だから僕はどこにいるんだろう? で終わったのではないかなと思う。あちこちからのベクトルを感じずにいられない終わり方だったなあと今でも思う。

 絶対悪は必要か。どうしようもない「性」や「業」は慈しむべきか、憎むべきか。これもまた、どちらでもあるから愛憎なんて単語があるんだよねー、と思いつつ今日はおしまい。

 納屋を焼くの終わり方がすごく好きなんだ。どこかで燃えて崩れ落ちる納屋を思う時、納屋に火をつける瞬間をありありと想像できる人間と、そうでない人間とに違いはあるのだろうか? 静かに青くぞっとする。

 話題にしたので貼っておく。特に意味なし読んでいません。すみません。

のぼうの城

のぼうの城