生きることは物語を作ること、をテーマに日々哲学するブログ

生きるとは自分の物語を創ること

日々のじだんだ ~見習いみかん農家4年目~

妹ちゃんのアイシングクッキー

 うっこり放置長すぎました。いや特に、マンガ読んだり副業のあれこれしてたりしただけです。

 妹がクッキーのアイシング教室を頑張っている。台風ばかりの最近は特に湿気との戦いらしい。あいつはいつも見えない敵と戦っているように思う。姉は食べることは好きだけど、飾ることは興味がないので、あの世界は感心こそすれど「私もやってみたい(キラキラ)」といった感情が芽生えない。すまん、妹。ラッピングだってポリ袋に入れて何となく縛るまでが限界よ。

 そんな無知な姉でも、妹のすごいなあと思うところがある。食い意地、、、げふげふ。気を取り直して、いくら美しいものであれ、食べておいしくなければ意味がないと断言するところだ。ローフードだろうが美容に良かろうが、不味いもの、あるいは満足感が損なわれるものは、そもそもどうなんだ、と。ごくごく当たり前の材料で、美味しいクッキーを作って、そこにママと子供がアイシングして、家族で食べる。そういう「当たり前の作る幸せ、食べる幸せ」を増やしたいのが妹の思いであって、彼女の生き方そのものだなと思う。

 私は変に完璧主義なので、自分が作ったお菓子の酷さは許せないので買ってしまうが、実は料理上手の母もさほどお菓子の腕前はよろしくないようで、母手作りのお菓子で豪勢なものは記憶にない。でも、それでも、混ぜて凍らすだけのアイスとか、微妙なカルピスとか(後にヤバいものだったことに気づくが、身体に異変はまるでなかった。乳酸菌すごいね)、蒸しパンとか、そういうの覚えている。不思議なほど、子どものころの味の記憶って忘れないものなんだ。だからママは下手でもいい(下手前提に話してすみません。自分が下手だからこうなっちゃう)、一緒に作って楽しい記憶を作ればいいんじゃないかと思う。

 こういうの作ってるらしいです。絶対的にセンスが足りない。でも妙に愛らしさがある。あいつそのものである。

 今日電話で話していて、三姉妹ともに母が幼いころから言い聞かせてきた「手に職」と「技術は身を立てる」ということを、二人ともひしひしと肌で感じるねえ、と言い合っていた。両親が足腰を犠牲にして学校に行かせてくれたおかげ。私はパソコンの技術と知識を、妹は食に関わる知識を身に付けた。二人とも仕事に関わる中で美学を持つようになり、今はその美学をどう生かすか、表現するかというところにいる。本当に、心の底からありがたいなあと思う。

 さ、連休最終日。塩鯖と久々の休み。たぶん朝うどん行ってごろごろする。

雑多に、豊島美術館からSFな発想へ飛ぶ(つまらんよ

最近、いろいろ見たい聞きたい読みたいがあって、選びきれないから選んでない。

新海監督の映画が公開されている。見たいなあと思うけど、例によってDVD待ち。今回はラッドが音楽を手掛けている。もう最高になるしかないだろう。ラッドも新海監督も大好きだ。「若者に人気」と言われると「いろいろすみません」って思う初老の年齢ですが。

私だけかもしれないが、10代のころよりも、20代のころよりも、40台を目前にした今のほうがいくらも素直だ。一緒にいる人が塩鯖だからというのもある。彼は私の好きをけなさない。否定しない。理解を示さないときでも、怒ることはまずない。これは普通のことだと思うのだけど、数年前の長い気の迷いのとき、一生分ぐらい経験した「否定」は、否定は。

私の心のどこかに、あれ(もう人扱いすらしないほど過去)を見下していた部分があったことを、あれは感じ取っていたのだろうと思う。人は思っているよりも、ずっとずっと敏感でストレートな生き物だから、どれだけ大人の態度を取ろうとも、ダダ漏れなんだ。

話を戻して、新海監督もラッドもコケにされまくって地面に叩きつけられて一度は壊れたものを、隠れて拾ってこそこそ楽しんでいたけど、よく考えたらそんなことする必要ないんじゃんって気づいて、嬉しくて嬉しくて、ぎっくり腰を引きずって苦しんでいる塩鯖を撫でまくっていた。

**

豊島美術館の「母型」が気になってちょっと調べていた。私が「これは子宮の中か」と思った場所のこと。すごく簡単で誰もが知っていることを、ひとつの形にした場所なんだろうなと思い至った。

www.teien-art-museum.ne.jp

相変わらず都合のいいだけのスピリチュアルはまるで信じていないのだけど、遺伝子に組み込まれている逆らえない輪廻は無条件に信じられる。それは私たちの都合なんて関係なく、ただただプログラム(というと一気にオタク感が増すな。種子が芽吹いて葉を広げ、花を咲かせて種子を作るという行程そのもののことなんだけど)を遂行していくだけのこと。その中では超能力もなければスーパー第六感とかもない。なぜかというと、花も木も風も水も人間も、同列であるから。

水は花を育てようとしていないし、風はリボンを揺らそうと目論んではいない。
誰一人として調和しようとして調和していない。
自分さえも今ここでそれらと同列になって調和している、奇跡みたいな空間なのか。
隣に友達はいるけれど伝える必要はない。
同じだから伝える必要はない。

……zzz
by眠りに落ちる直前の私の頭の中

豊島美術館の母型の中で私はこんなことを考えていた。と思う。そのときは疲れていて、感動していて、なんだかよくわからないままに寝転がって寝て、ああー気持ちええーって思っただけだけど、その「ああー気持ちええー」って中にこういうのが入っていたんだと、今分析したんです。

そもそも、スピリチュアルって言葉の節操ない感じには呆れるぐらいの気持ちを持っている。妄想や創造を人と共有できれば、それはある意味では悪夢にしかならない。それぐらいに、私は人を信じていない。でも、個の強さや、短絡的にも映るわがままさは信じている。この世界は、いつだって対極のもの同士のバランスで成り立っているんだと思う。そしてそこで生まれた「ツケ」みたいなものは、誰かのエネルギーになったり、足を引っ張ったり、善悪や良し悪しを越えたところで巡っているんだと思う。

まさに「風が吹けば桶屋が儲かる」だな。この諺は超世界系だったんだな。

甘利香辛食品 CA パプリカ 200g

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昨日の夜は寝苦しく、涼を求めてさまよっていたらしい(塩鯖談)。どうせ寝苦しいなら、百鬼夜行に参加する夢でも見たいものです。あれはたぶん違う次元のマツリゴトだから、一度参加してみたいのよ。

8/20 瀬戸芸in豊島

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もう9月だ。やらせ(色の加工をしている)の豊島絶景ポイントの写真を載せてこんにちは。思い出振り返り。

setouchi-artfest.jp

瀬戸芸・豊島に展示されているアートはこちらを見ると分かりやすいです。
そして、豊島のアートは写真撮影ができないものが多かったので、写真は少ないです。

8/20、いつもの友達と瀬戸芸in豊島。サンポートに9時集合で30分後の船に乗り、豊島についたのは10時ごろ。
帰宅の便は最終の17時半を予定していたけど、電気自転車に助けられて15時半のに乗れました。だから島で過ごした時間は5時間程度。

前回の開催で豊島の主要なアートは巡っているので、今回は新しく追加されたのと、前回行けなかったところを回ろうと決めていた。すべて満足するほど回ろうとすると、一日では駆け足になるかもしれない。

二人の所持品はだいたい同じ。熱中症対策に二人とも梅干しを持ってきていた。水分は自販機で調達したらいいやと、500mlのペットボトルの麦茶だけ。けっこう身軽なのは自転車で移動する予定だったから。ちなみに電気自転車は友達が1か月前から予約していたのでスムーズに借りられた。

ここで注意。豊島の坂道をなめたら死にます。豊島はのんびりサイクリングという地形ではないので、体力に自信がない人は電気自転車かスクーターを借りないと心も体も折れますよ。
逆に、電気自転車でもあれば、島の海風を全身に浴びつつサイクリングできる。暑くても少々平気なほど気持ちがいい。島そのものは狭いので「あっち行ってからこっちに戻ろう」っていうこともできます。電気自転車を予約してくれた友達にマジ感謝。

唐櫃港に上陸した私たちはまず甲生方面へ向かう。道中で豊島美術館と絶景ポイントを通り過ぎつつ、電気自転車の恩恵の大きさに驚いている。けっこうな上り坂だったのよ。

そんでまずは「豊穣:海のフルーツ / 豊穣:山の恵み」。
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私好みの不思議空間できゃっきゃする。終わり。そして「豊島八百万ラボ」。クーラーが効いてて休憩にもなった。

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中は写真撮影禁止につきサイトをご覧ください。これは外にあった絵馬。当日は本人が来ているとのことだったが、いろんなとろころに行きたいのでトークライブは参加せず。

ここまでの道のり、電気自転車では訳もないが、いかんせん日差しが辛い。昼飯はゆっくりと食べたいと思い、海のレストランを目指すことに。
道中で「Big Bambú」を遠目から楽しんで(登ることができたんだねーさっき知ったわ)「遠い記憶」を楽しんだ。


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ホントもう、夏真っ盛りっぽい写真になった。万華鏡のような、ここだけタイムスリップしてきたみたいな(未来か過去かは分からない)建物だった。

家浦地区に入り、昼飯までの道中で「針工場」に入る。これが予想以上に素敵なところだった。といっても、特に何があるわけでもない、この写真通りなのだけど、入ったらその圧倒的な存在に感動するよ、きっと。

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そうこうしつつ、予定通り海のレストランに到着。瀬戸芸の旅の中でも、一番リラックスして、一番のんびりと昼飯を食ったのではなかろうか。肉は美味しく、クーラーは気持ちよく、見える海は青く、贅沢な一時でした。もちろんこのころには距離感がつかめてきたので、作戦会議もした。

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そこから硯地区を目指す。私が見たかったこれ。
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現地までは5~10分ほど歩くためか、誰もいなかった。絶対に行った方がいいぜのお勧めポイント。私たちがいる間は光らなかったんだけど、それでも見る価値のあるアート。そうね、小豆島のリーゼントに近いものがあるかもしれない。

そしてまた唐櫃に戻り、ストームハウス、檸檬ホテル、豊島美術館をめぐる。

ストームハウスも写真禁止。たとえ写真が撮れる環境であったとしても、あそこで得られる感覚は絶対におさめることができないだろう。昔の家で過ごした台風の日が再現されたような空間だった。

記憶はあくまで記憶であり、記録ではない。その時の感情や感覚は、時間とともに変わってゆく。今私たちが「懐かしい」と思うものは、私たちの主観的な何かが含まれた「記憶」なんだ。だから当時のものをそのまま持ってきたところで、同じ経験もないだろうし、「懐かしい」という感覚もどこか違うものになる。ということは、ここで感じた普遍的な「懐かしい」っていうのは、おそらく人類共通のなにかがあったんだろうと思う。そんなことを考えていたら、すごくすごーく、気持ちよかったし、自分を作る要素、例えば出会った本や音楽や、家族たちと過ごした時間、なんてことない立ち居振る舞いなんかも思い出し、自分の原点を垣間見た気がした。

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そして檸檬ホテル。カップルを推奨されたがわれらは女二人旅。イヤフォン付けてゴゴゴゴーよ。

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瀬戸芸を紹介する番組で「甘酸っぱい」と連呼されていたここは、酸いも甘いも知っている私たちも例外なく甘酸っぱい気持ちにさせてくれた。思い出すたびにこみ上げる笑いが止められない。本当はここで撮った写真をインスタにタグ付けしてアップして作品の完成となるそうだが、インスタアカウント消したっきり復活していなかったので割愛。そもそもこっぱずかしいわ。

ここでビターな檸檬スカッシュを補給。思いのほか豊島は自販機がないのだった。

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そして最後、豊島美術館。ここは15時に予約していた(友達がね。用意周到な友を持つと本当に助かるね)。
すでに満喫していたし、予定の最終便はすごく混むと聞いたので一本早めようかと相談していたのだけど、行ってから決めようぜと、前向きとは言い難い心持のまま突入。

結果、二人ともここが一番最高だった!! というポイントだった。このパターン多いね。

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むろん写真撮影禁止、かつ、写真撮影したところで(ry。
本当に気持ちのいいドームだった。ドーム以外ももちろん気持ちいいんだけど、このドームが気持ちよすぎて、何もかも吹っ飛んでしまった。
適当な場所にごろんと横になると、かすかに水音がして、風が吹いて、一日の疲れが溶けてなくなってしまった。
あまりの気持ちよさに、私は深い深い眠りについていた(笑・寝るつもりはなかったが、疲れてたんだねえ)。

私は瞑想とかやんないんだけど、たぶん深い瞑想ってあんな感じだよ。
目が覚めたらすごくクリアな意識になっていて、人々が幸福に満ちているように見えて、平和ってすごいなあとか思った。
ああ、そうか。あれは子宮の中の感覚に近かったのかもしれないな。
守られているような、余計なことを完全に忘れて、自分自身に戻るような、そんな感覚だった。
普段なら、二人とも荷物があるのにかくっと寝たりしませんよ。でもここはそういう魔法があったんだよ。

地中美術館も一度は行けって場所だけど、ゆっくりと体感できるという意味ではここのほうが良いですよ。
地中美術館はのんびりさせてくれないからなあ(時期によると思います)。

短時間ながらも満喫したので、やはり一本早い便で本土に戻る。
豊島美術館での充電がよく効いて、帰宅するまで元気に過ごせた。
豊島を回った日、例外なく35度を超える猛暑日だったけれど、タコ釣りや室戸で培った水分補給方法が役立って、熱中症や脱水など起こさず、二人とも元気に走り回れた。帽子と長袖は必須の夏だけど、秋になればもっと軽装で回れると思う。

ひとまず、2016年春・夏と瀬戸芸を堪能している。今度は秋の小豆島。塩鯖と回る予定です。うふ。

この記録が誰かの役に立てば幸いです。