生きることは物語を作ること、をテーマに日々哲学するブログ

生きるとは自分の物語を創ること

日々のじだんだ ~見習いみかん農家4年目~

最近、思考を放棄しています

 今日は雨。モンステラの植え替えに最適な気候です。おはようございます。

 先日友達と福山バラ祭りに行きました。バラすごかった。立派な株のバラたちがたくさん咲いていました。圧巻。しかし、イベントはバラと関係ないものばかり。益がなければバラ祭りも継続できないってね。ミステリー作家の誰かも来ていました。でもミステリーはあんまり読まないので、ごめんなさい。

 毎日病院に通い、毎日塩鯖を見舞っています。そろそろ一か月です。塩鯖がいないのをいいことに、あれもこれもしちゃえばいいんだろうと思いますが、まったくなににも集中できません。だから哲学カフェサイトも閉じようかなと思っています。まだ考え中だけど、勝手してごめん。

 心配事があると集中力が落ちる。当たり前のことだと思うんだけど、実際にその時間を経験すると、人間って不完全すぎる生き物だなあと思います。不完全っていうか、不器用かな。気にしたって仕方ないと頭ではわかっていても、頭から離れない心配事。

 これはよしもとばななの「キッチン」で、主人公のみかげが最初のほうで言っていることと似ています。年寄りとの二人暮らしは常に不安が覆いかぶさっている。遅く帰る日、外で楽しい時間を過ごしている最中、街角の美味しそうな匂いの中で、ふと家に残している人を思う、常にその「ふと」がやってくる。

 これは心労や苦労ではないだけど、確実にある「闇」で、普段は目をそらして生きていることもできるけれど、誰もが必ず目にしなければならないこと。たぶんどれだけ対峙してもなれることのない「闇」。ここで言う闇は悪ではないよ。

 妹ちゃんから電話があると、家に子どもがいるっていいなあと思います。子どもって希望です、未来です。相変わらず子どもは嫌いだけど(甥っ子は別腹)、無条件に未来を予感させてくれる存在なんだなあって思います。

 そういう雰囲気は本人の意志とは別に背負うもので、たぶん私は「疲れてまーす」って雰囲気を背負っています。本当に辟易しているのは塩鯖であって、私は努めて明るい雰囲気をまとうものだろうけど、素直過ぎてそれができません。良い家族とは言い難いのかもしれない。だけど家の中に希望を発するものが見つからないのです。植物ぐらい。こいつらはもちろん希望、生命力ではあるんだけど、自然そのものだからねえ。ちょっと違うんだよねえ。

 海外ドラマばかり見続けているのは、なんにも考えないようにしているためなんだろうなあと思います。しかし目が疲れた。そしてネタも尽きてきた。などと言いつつ、たぶん今宵も見続けるんだと思います。これがいわゆる中毒です。これを断つには、塩鯖の退院が必要です。いつになるかな。今週か、あるいは来週か。頼むぜ。




 実はね、部屋の中が騒がしいんです。夜な夜な雰囲気が騒がしい。塩鯖に相談したらモンステラを置いたらいいよって言われたので、置きました。まぁまぁ存在感があるわが家のモンステラ、騒がしさを遠ざけてくれました。さながら守り神。モンちゃんありがとうよ、どうやらそこは通り道なんだよなあ。

 夜にこそ気になるけど、たぶん昼間もうろうろしているものがいるようなんだよね。昼間はあんまり家にいないから分からないだけで。それらはたぶんもう、時間そのものを失ったものだろうから、夜も昼も関係なく「通り道」に来てしまっているだけみたいです。

 昔々、幼いころに、母親に「何かが通った!!(たぶん猫)」と訴えたら、「もしそれが怖いものや悪いものに見えるということは、あんたの中にやましい何かがあるってことよ。悪いことしたんじゃなーい?」と言われたことを思い出します。あるいは、パトカー見てヒヤッとするとかね。

 世の中には無条件に邪悪な者もいれば、無条件に天使のような者もいるんだろうと思います。そしてそれ以外の大多数。だからカオスっていうんだろうってね。だから無下に追い出すことをしたくはないなあと思うんだけど、安眠のためにモンちゃん今夜もよろしくだよ。

長期出張の塩鯖

 本人はまだ入院中ですが。こんばんは。いろんな滞ってることをする気力が、ようやく戻ってきました。肩こりはいけませんね、生きる気力も奪います。いやはや、肩こりだけが原因じゃないんだけど。

 塩鯖の入院に当たり、世界の病院食を調べてみた。といってもグーグル検索で上位に出るところ程度だけど。日本の病院食はおおむね「美味しい」で間違いはないと思う。コストを考えると更に上位に食い込むでしょう。しかし、しかしだ。圧倒的に足りないであろう「食べごたえ」。食べごたえのない食事を2週間以上食べ続けるのはもはや苦行でしかない。

 病院食と刑務所メシ、どっちがいいんだろうなあと思いつつ、今日もお見舞いに行ったのでした。退院するまで毎日行く。

 塩鯖のことを書くと、塩鯖を褒めるだけになるのでやめておこうと思う。



 彼が入院している病院は、彼と同じ病名の人たちがたくさんいる。同じ病名だけど症状が全然違う。もし、彼と同じ症状の人がいたとして、病名と症状が一緒だから彼らのしんどさは同じほどだ、と誰が言えるだろうか。

 彼らのしんどさは彼らだけのものだ。同じ病気のもの同士の「あるある」はたくさんあるかもしれないが、彼らの抱えている「重さ」に優劣がないように、彼らの「重さ」に平等もない。

 私はずっとずっと昔、「人の痛みが分からない」と言われたことがある。間違いじゃないと思って考えを改めなかった(あとはお察し)。あの頃はまだ子供だったので表現方法が見つからなかったけれど、今は違う言い方ができる。「簡単に分かったふりをしたくない」だけなんだ。だからそう振舞われることには嫌悪か、あるいは軽蔑を覚える。

 この病を患って3年の塩鯖。一度たりとも私は彼の痛みを経験したことはない。だけど、誰よりも配慮することはできると思う。今できることは、自由の少ない病室で、時間が流れることだけを待ち続けている彼の日常に、私の登場という変化を与えることだけなんだと思う。

 早くおうちに帰ってきてほしいなあ。一人寝だと寝つきが悪くていけません。ベッド広いのにね。

 おしまい。