生きることは物語を作ること、をテーマに日々哲学するブログ

生きるとは自分の物語を創ること

日々のじだんだ ~見習いみかん農家4年目~

うわ、もう7月よ

 こっちの更新を怠っていました。こんばんは。暑いです。

 塩鯖が入院して早ななじゅう……何日だ? いい加減、塩鯖も病院生活に飽きています。でも病だから仕方ない。私も一人暮らしに飽きています。でも家族だから仕方ない。仕方ないづくしにも慣れてきましたが、一人暮らしの時間は育ってなくて、非常に時間を無駄遣いしている今日この頃です。

 やらねばならないことはたくさんあるんだがね。

 さて。

 私の仕事がなくなる予定です。笑えないわー。でもこれも仕方ないわー。こういう場面に来て初めて介護で仕事をやめざるを得なかった人たちの事を考えました。そして久しぶりに、ずっと座ってるだけじゃんあのおっさん、みたいな人の存在も思い出しました。

 私はしがない派遣社員ではあるけれど、一応自分の仕事っていうものがあります。私だけができる仕事じゃないけどね。替えなんていくらでもいるんだけどね。でも私があの席に座っている以上やるべきことは毎日分あるわけだ。その「私の仕事」って山谷があるものなんだけど、じゃあ仕事がない日は休んでいいかっていうと、そういうわけにはいかないんです。だって仕事だから。そこに行って、座っていることも仕事のうちだから。

 今回の退職の理由は、休みすぎたからですな。決まった時に決まった時間座ってることができていなかったから、当然といえば当然だな。

 そういうことを考えたり、行動したりしているとき、ある人のツイッターを思い出した。父親の介護がようやく終わって(亡くなった)、ちょっと一息ついて(でも実生活はそれほど本稼働している様子ではなかった)、そんな頃合いのツイッターのつぶやき。

 介護の辛さは同じように介護をしている人にしか分からない、というものだった。こう書くと「そりゃそうよね」って思うだろうけど、そういうんじゃなくてね、なかなかグロテスクな黒い思想とか、闇だわね、そういう部分のことよね。

 世の中の不便さや不都合は改善されてゆくべきものかもしれない、そうじゃないかもしれない。今の私には判断できない。少なくとも、人が平等である思想からは、有益なものは生まれると思えない。

 特に悲壮な気持ちなわけでも、被害者ぶるわけでもないけれど、なんか最近、唐突に「人って全く不平等だよなあ」って思って、「あ、そりゃそうだよな。だから奇跡って起こるわけで、だったら私人の奇跡に興味ねえな」って思ったんです。

 最近、恩田陸さんの本を、たぶんすごく久しぶりに読んだ。文学なんて書く気がないんだな、読者をバカにしているのかなって思った。

最近、思考を放棄しています

 今日は雨。モンステラの植え替えに最適な気候です。おはようございます。

 先日友達と福山バラ祭りに行きました。バラすごかった。立派な株のバラたちがたくさん咲いていました。圧巻。しかし、イベントはバラと関係ないものばかり。益がなければバラ祭りも継続できないってね。ミステリー作家の誰かも来ていました。でもミステリーはあんまり読まないので、ごめんなさい。

 毎日病院に通い、毎日塩鯖を見舞っています。そろそろ一か月です。塩鯖がいないのをいいことに、あれもこれもしちゃえばいいんだろうと思いますが、まったくなににも集中できません。だから哲学カフェサイトも閉じようかなと思っています。まだ考え中だけど、勝手してごめん。

 心配事があると集中力が落ちる。当たり前のことだと思うんだけど、実際にその時間を経験すると、人間って不完全すぎる生き物だなあと思います。不完全っていうか、不器用かな。気にしたって仕方ないと頭ではわかっていても、頭から離れない心配事。

 これはよしもとばななの「キッチン」で、主人公のみかげが最初のほうで言っていることと似ています。年寄りとの二人暮らしは常に不安が覆いかぶさっている。遅く帰る日、外で楽しい時間を過ごしている最中、街角の美味しそうな匂いの中で、ふと家に残している人を思う、常にその「ふと」がやってくる。

 これは心労や苦労ではないだけど、確実にある「闇」で、普段は目をそらして生きていることもできるけれど、誰もが必ず目にしなければならないこと。たぶんどれだけ対峙してもなれることのない「闇」。ここで言う闇は悪ではないよ。

 妹ちゃんから電話があると、家に子どもがいるっていいなあと思います。子どもって希望です、未来です。相変わらず子どもは嫌いだけど(甥っ子は別腹)、無条件に未来を予感させてくれる存在なんだなあって思います。

 そういう雰囲気は本人の意志とは別に背負うもので、たぶん私は「疲れてまーす」って雰囲気を背負っています。本当に辟易しているのは塩鯖であって、私は努めて明るい雰囲気をまとうものだろうけど、素直過ぎてそれができません。良い家族とは言い難いのかもしれない。だけど家の中に希望を発するものが見つからないのです。植物ぐらい。こいつらはもちろん希望、生命力ではあるんだけど、自然そのものだからねえ。ちょっと違うんだよねえ。

 海外ドラマばかり見続けているのは、なんにも考えないようにしているためなんだろうなあと思います。しかし目が疲れた。そしてネタも尽きてきた。などと言いつつ、たぶん今宵も見続けるんだと思います。これがいわゆる中毒です。これを断つには、塩鯖の退院が必要です。いつになるかな。今週か、あるいは来週か。頼むぜ。




 実はね、部屋の中が騒がしいんです。夜な夜な雰囲気が騒がしい。塩鯖に相談したらモンステラを置いたらいいよって言われたので、置きました。まぁまぁ存在感があるわが家のモンステラ、騒がしさを遠ざけてくれました。さながら守り神。モンちゃんありがとうよ、どうやらそこは通り道なんだよなあ。

 夜にこそ気になるけど、たぶん昼間もうろうろしているものがいるようなんだよね。昼間はあんまり家にいないから分からないだけで。それらはたぶんもう、時間そのものを失ったものだろうから、夜も昼も関係なく「通り道」に来てしまっているだけみたいです。

 昔々、幼いころに、母親に「何かが通った!!(たぶん猫)」と訴えたら、「もしそれが怖いものや悪いものに見えるということは、あんたの中にやましい何かがあるってことよ。悪いことしたんじゃなーい?」と言われたことを思い出します。あるいは、パトカー見てヒヤッとするとかね。

 世の中には無条件に邪悪な者もいれば、無条件に天使のような者もいるんだろうと思います。そしてそれ以外の大多数。だからカオスっていうんだろうってね。だから無下に追い出すことをしたくはないなあと思うんだけど、安眠のためにモンちゃん今夜もよろしくだよ。

長期出張の塩鯖

 本人はまだ入院中ですが。こんばんは。いろんな滞ってることをする気力が、ようやく戻ってきました。肩こりはいけませんね、生きる気力も奪います。いやはや、肩こりだけが原因じゃないんだけど。

 塩鯖の入院に当たり、世界の病院食を調べてみた。といってもグーグル検索で上位に出るところ程度だけど。日本の病院食はおおむね「美味しい」で間違いはないと思う。コストを考えると更に上位に食い込むでしょう。しかし、しかしだ。圧倒的に足りないであろう「食べごたえ」。食べごたえのない食事を2週間以上食べ続けるのはもはや苦行でしかない。

 病院食と刑務所メシ、どっちがいいんだろうなあと思いつつ、今日もお見舞いに行ったのでした。退院するまで毎日行く。

 塩鯖のことを書くと、塩鯖を褒めるだけになるのでやめておこうと思う。



 彼が入院している病院は、彼と同じ病名の人たちがたくさんいる。同じ病名だけど症状が全然違う。もし、彼と同じ症状の人がいたとして、病名と症状が一緒だから彼らのしんどさは同じほどだ、と誰が言えるだろうか。

 彼らのしんどさは彼らだけのものだ。同じ病気のもの同士の「あるある」はたくさんあるかもしれないが、彼らの抱えている「重さ」に優劣がないように、彼らの「重さ」に平等もない。

 私はずっとずっと昔、「人の痛みが分からない」と言われたことがある。間違いじゃないと思って考えを改めなかった(あとはお察し)。あの頃はまだ子供だったので表現方法が見つからなかったけれど、今は違う言い方ができる。「簡単に分かったふりをしたくない」だけなんだ。だからそう振舞われることには嫌悪か、あるいは軽蔑を覚える。

 この病を患って3年の塩鯖。一度たりとも私は彼の痛みを経験したことはない。だけど、誰よりも配慮することはできると思う。今できることは、自由の少ない病室で、時間が流れることだけを待ち続けている彼の日常に、私の登場という変化を与えることだけなんだと思う。

 早くおうちに帰ってきてほしいなあ。一人寝だと寝つきが悪くていけません。ベッド広いのにね。

 おしまい。