勝手に夏の風物詩
- 作者: 吉本ばなな
- 出版社/メーカー: 中央公論社
- 発売日: 1989/03
- メディア: 単行本
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今年は読めないかと思った夏の風物詩。勝手に三部作だけどアムリタも読みたい。
人と人との距離が近くなるにはなにが必要か。共有できる体験、景色、言葉。それらは家族であればすでに共有しているもので、これが他人で起こるとびっくりする。でもそれは「びっくりする」程度のことで、それ以上のなにかは人間の五感の誤解のうちだと思う。
尊敬や感動や落胆や和解など、時間は歴史を作ってくれる。でもそれも「ただ、同じ時間を過ごした」だけに過ぎないのだろうなと思う。そのことがどれだけ重要かは、人によって違うけれど往々にして「すげぇ大事なこと」にカテゴリされる。果たして、同じ時間を過ごした記憶がそれほど価値があるものだろうか。
本当に人と人との距離が近くなるには、自分の時間の膨大さと危うさに気づく必要があるんだろうなと思う。ばななはこの小説の中で「ピントが合った」と表現したけれど、それは一瞬でしかし永遠に有効な一方向の光の帯のようなもので、一度合ってしまうと外すほうが難しくなるもの、縁とか運命ではなくて、しがらみや呪いみたいなどうしようもないものなんじゃないかなと思う。
つぐみはひとつの呪いの形態で、だからわずかな人に鮮烈に残り、多くの人から忘れられるんだろうと思う。
自分が過ごしてきた、生きてきた時間を、同じ時代に生きてる同年代はみな生きている。けどね、全員のことなんて分からないし、分かりたくもない。でもときどき感心するような人はいて、その瞬間っていうのはぴたっと焦点が合ってしまったような気がする。今風に言えばコミットするってやつか。
感動して泣けてしまう小説はたくさんあるけれど、この小説ほど人同士の距離に涙するものはないなあと、いつも思うのでした。まりあ父とつぐみとまりあ、3人の海のシーンはどうにも好きだなあ。