聴心記

聴心記 (1978年)

聴心記 (1978年)


 イメージが出ないのはちょっと哀しい。さっくり読み終えてしまったのもちょっと哀しい。

 戦前、戦中、戦後の日本の根幹に大きく関わった人の随筆のようなものである。随筆だからか「それ言っちゃっていいの」なことが多いから面白かった。けれど彼が50年前に懸念していたことをいまだ先延ばしにしている日本政府を思うと天国の武見さんも「あらまあ」と思っていることだろう。わたしも「あらまあ」と思うもの。

 知らないことがたくさん出てくる。教科書では教えてくれないこと。今でこそ教科書は塗りつぶされない。そのかわり、記載されない。そこが本当は大切なんだよね。ちょっと知ると疑問を感じる部分のはずなんだが、意外とみんなスルーしているのが不思議だ。

 とはいえわたしも医療関係の仕事をしたから突っ込んだのであって、そうでなければ知ることはなかったかもしれない。仕事に感謝である。そうとうに面倒だったけどねえ。今日も問い合わせの電話はあったよ。日々忘却といえどあの知識は身についてるんだなと思う。

 システムがおかしいのではないのだ。システムを湾曲させたからおかしいのだ。それを制度として立たせてしまったからおかしいことが正しいことになっている、それだけのことだ。

 人は知らない単語が出てきたら敬遠するのだろうか。わたしは「なにそれ」と突っ込むタイプなので本来人間に必要なカロリーが液体で摂取可能になったことで懸念されるあれこれや、医療と薬剤の関係や、福祉と国家のからくりが面白かったけれど、その辺が「意味わかんない」という人にはお勧めしない。

 ただひとつ、武見さんは賢く優しい人であり、決して強権的な人ではなかったと思う。だから「けんか太郎」というあだ名を聞いて「怖い人」と思わないでほしいな、それだけです。

 なんでかね、柳田邦夫もずいぶんと曲解されてると思うんだけど。あの人フィールドワークやったんだよ。自分の倫理を一度でも二度でもかなぐり捨てる、見ようによっては野蛮な人だったんだよ。でも今や「ちょっといい昔話を書いた人」という認識なのがねえ。牧野富太郎さんも恐らくそういう局面をお持ちでしょうから、これからよっちら腰を上げますか。

 しかしピラティスで筋肉痛が激しいんですけどね。イタタ。