生きることは物語を作ること、をテーマに日々哲学するブログ

生きるとは自分の物語を創ること

日々のじだんだ ~見習いみかん農家4年目~

孤独のグルメ風焼肉レポ(写真少なめ)

 おはようございます。昨日は土砂降り。対岸の岡山、広島では甚大な被害が出ており、今朝電話すると実家も畑がやられていると聞いたのだけど、香川県はけっこう大丈夫。特急が止まってるので静かな日曜日でござる。

 塩鯖はゴローが大好きで、外食、うち飯関係なく、突然ゴローごっこを始めたりする。昨日も初めて行った焼肉屋でゴローごっこしていた。本当は「ゴローの真似をする塩鯖をレポる」ほうが私は得意だが、今日は孤独のグルメ風に書いてみよう。

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── この土砂降り、続くなあ。あ、そういえば帰り道にホルモン屋を見つけたんだった。古そうな店だったんだけど、まだ16時。……よし、腹もペコちゃんだし、今から行ってみるか。

── 昼から夜までぶっ通しで開いてる焼肉屋ってないよなあ。(いらっしゃいませ~)一人コンロ、奥に先客。なるほど、ハンパな時間に仕事が終わったオジサンが一杯やって帰るわけだ。

「ウーロン茶ください」

── 看板にホルモンと書くだけあって、潔いメニューだ。いい。店構えは古いけど、中は新しい。二代目が改装したのかもしれない。だけどこのメニュー、歴史を感じる。信頼できる証だ。

「塩タンと親鳥を塩で、あと大腸とジンギス。それにー……ご飯とキムチください」

── いいじゃない、いいじゃない。飾りっけがないのがいい。

── まずは塩からだ。この塩タンすごい厚さだなあ。網に載せても張り付かないし。(レモンを絞って食べる)すごい、ジューシー。口の中が塩タンのうま味で大洪水だ。歯ごたえもいい。塩コショウが濃いからご飯との相性も抜群だ。

── 塩タン、ご飯、キムチ、ご飯。これだけで永遠に食べ続けられそうだ。タレじゃなくて塩、オレ、大人。っておっと、タレを忘れていた。

── 次は鳥。ほう、こうきたか。うーん、いいぞいいぞ。噛み締めるたびにうま味が広がる。これは止まんないな。

── タレの焼ける匂いがオレの胃袋をダイレクトに刺激する。先にジンギス。なにこれ、このタレ。タレが美味い。甘くない、甘くないタレ、いい! 大腸、タレと絡んで最高だ。ヤバいぞ、これはご飯がススムくんだ。キムチと合わせてチョーススム。あ、ご飯なくなっちゃった。

「すみません、ご飯と上ハラミ、あとロース」

── よーし、ご飯も来たし、遠慮なく焼いちゃうぞ。んん! この上ハラミ、まるでステーキ。すごい、こんな上ハラミはじめて。リブロースとカルビのいいとこどりだ。ちまちま焼いてらんないぞ、よし、全部載せちゃおう。今、オレの胃袋は上ハラミを欲している、肉だ、肉だ!

(完食・お会計) 

── あれ? 気づいたらお店に人がいっぱいだ。まだ17時だというのに、、、さすが老舗だ。老舗には良い肉が集う。近所の人に愛される老舗。いい店に出会った。

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www.tripadvisor.jp

 二人で動けなくなるほど食って5000円ぐらい。お食事のオンタイムなら予約しておく方が吉。

 塩鯖ともども、くすみんのフラっとQUSUMI、再生されたら負けゲーム。と思っていたら、ご自身もそう思っておられたか。

 松重さんは小食の大酒のみと、どこかのインタビューか番組で見たことがあった。だからこの番組は大変な仕事だろうと思う(これだけ食って太らないし)。だけど毎回毎回、本当に美味しそうに食うから、絶対に晩ご飯を食べながらか、満腹のときにしか見られない。

芥川龍之介ってやっぱり天才だったんだなあ

 おはようございます。大雨警報がでっぱなし、こんなことはなかったな、未曾有の災害の危険性って言われても、これは分かるわって思う。けれど、うちの近所はそれほど土砂降りが続くことはないし、山もない。先ほど朝うどんに行った帰りに川を見てきたが(塩鯖は助手席で「40代の男女とみられる二人が……」ってフェイクニュースを流していたけど)、広い河川の幅にほとんど水の流れていない普段の川が、別の顔になっていた。河川の幅が広いということは、増水したときちゃぷちゃぷになるということだ。本当にみんな、川とか山とか海とか行っちゃいけないぜ。

 さて。

www.kodansha.co.jp

 私はネットでニュースを見ない。NHKのニュースばかり。なので村上龍芥川賞の選考委員を降りたニュースを見たのが昨日だ(大雨のニュースを見ようとしたのよ)。そのニュースについてきたのが、芥川賞候補で盗作疑惑だった。

※余談だが、そのニュースでは「第一回芥川賞に落ちた太宰治の恨み節」もちょっと書かれていて、何年たってもこれを言われ続ける太宰に少しの同情と、同時に愛おしさを感じてしまった。後にも先にも「お願い」したのは彼だけだ。なんて可愛いんだろう。

 異例の無料公開ということで、さっそく読んでみた。芥川賞候補になるということは短編小説であるから、サクッと読めるだろうなって思いと、でも芥川賞だからな、という思いだった。というのも、やはり芥川賞というからには「文学性」と「斬新さ」があるからこそ候補になったのだろうと思っているから。しかしこの願いというか、そうであってほしいと思う気持ちは、もうずいぶん前から裏切られ続けている。

 いろいろ思いながらも読んでみて思ったのは、どこかで見たことがあるような情景、文章ばかりだったな、である。文章が下手ですね、とも思わないし、ありきたりですね、とも思わない。けれど、はてなの匿名日記ならばあるのではないか、ぐらいのレベルだったと感じている。

「どこかで見た」とういのも、こういう小説あるよねではなくて、ネットのチラ裏的な感じ。いちいちが大げさというか大仰なのだけど、適度なバランスだから一件うまいようにも見える。けれどいわゆる「盛ってない」部分は単調なので、情景描写は想像力を刺激されない。多少の盛りは読者のため、100%自分のためには書いていない文章。起承転結がしっかり守られているあたり、文章コンサルからのアドバイスでもあったんだろうか、と思ってしまった。

 と、ここまで酷評しているけれど、じゃあ下手なのか面白くないのかと問われたら、テーマが好きになれないが下手でもないし面白くないわけでもない。けれど今、インターネットではこれぐらいの文章は読める。インターネットを引き合いに出してしまうぐらい「ネット的」だなと感じたのだ。

 ネットから生まれた作品も数多い。けれどネットから生まれた作品の多くは「抜群の完成度」だったことは少ないと思う。完成度が高いから作品になったのではなく、臨場感が人を惹きつけるから作品に繋がったのではないかと、私は勝手に想像している。じゃあ完成度は必要ないのかというと、そんなことはなくて、やっぱり作品と呼ばれるためには完成度も構成力も必要だろう。

 小説は、鋭い一文だけが書けたらいいわけではないと、私はずっと信じている。物語は人と現実を繋ぐものであると、信じている。

 小説の盗作に関して、私はたぶんかなり厳しい。なぜなら、あらゆる創作への冒涜だからだ。究極の選択ではあるが、まだネット炎上商法の方がマシだと思うぐらい、盗作はいかんと思う。講談社の言い分通り「参考文献を掲載しなかったミス」であるならば、きっとこれほどの問題にはならないだろう。けれど、参考レベルじゃないでしょこれ、レベルだから「盗作」と言われているのだろうと思う。

 確かに今は本の数が多すぎる。1年後に残っていないような本が特に多すぎる。本来残るべき文献や書籍が埋もれているんじゃないか、いやいや、日本の文化レベルはそこまで落ちてないはずだ、という変な自問自答をしつつ、いらん心配などすることはある。そんな大量の書籍の中から、盗作か否かを見つけるのはさぞかし大変なことだろう、っていうか無理じゃないかって思う。思うけれど、できることなら出版社にお勤めの人には、文化を守る意識というか、物語を尊重する姿勢を持ってほしいと思う。

 時代は変わってゆくものだ。けれど、おそらく派手なアピールはないながらも「書籍」という一つの文化、歴史に、並々ならぬ愛着を持っている人はたくさんいると思う。売れなければ商売にならぬということはよく分かるが、可能であれば、そういうディープな愛情の持ち主に向けての展開も、考えていただきたいなと思う。

 さんざん厳しいことを書いたけれど、じゃあお前が書けよと言われたらと、言われもしないのにビクビクしてしまう。

 あ、そうそう、作品としては、桐野夏生の「魂萌え!」とか、湊かなえ本谷有希子あたりと似た感じ。芥川龍之介羅生門の婆だけを切り出した、みたいな感じでした。

豪雨と避難勧告

 おはようございます。四国地方は豪雨、特に高知の馬路村あたりは酷いことになっている模様。海側の私が住むあたりはほぼ無害なんだけど、昨晩12時にに避難勧告が出た。ちょっと離れた地域の避難勧告ね。それも3回ぐらい鳴った。正直勘弁してくれよだけど、避難勧告は多少広範囲ぐらいの方がいいだろうし、のっぴきならない状況の人たちだっているのだから、鳴らないよりは鳴ったほうがいいと思う。イラっとしつつも葛藤を抱えて寝たせいか、寝起きは非常に重かった。

 私はあまり自然災害に出会ったことがない。最高の被害だったのは、14歳のころの台風19号ぐらいだ。あれは本当にすごかった。島の外周を走る道が壊れて海岸になっていて、翌日は海岸を歩いて登校した(その後家に帰されたのだが、なら連絡しろって思う)。夜にすごい雨が降ったと思ったら、ほとんど海水で雨ではなかった。海水は植物を枯らす。何年もかけて育てたミカンの木がことごとく枯れていった。また、海に関する仕事をしていたおうちは、何件か引っ越した。

 自然災害は人間がどうにかできるものではない。ただただ耐える、逃げるしかない。人間も自然の一部なんだと痛感する。

 いつのころからだろうか。リゲインのころは人間は強いと思っていた(リゲインのCMをブラック企業という若者がいるが、あの頃はちゃんと残業も手当ても払われていたので、今のブラックとはわけが違うのだよ。それ相応に、温い湯につかると人間がどうなるかということが、芥川的な感じよーくわかった時代だと思う)。地震は仕方ないが、台風ぐらいは、大雨ぐらいは、そういう認識が少なからずあったと思う。でも、台風や大雨で命が失われたり、住むところを失ったり、思い出をすべて流されたりもする。

 地球単位で考えると、人はこの地表にへばりついて生活しているだけなんだなって感じる。自然災害は止められないし、避けられないのだから、せめて戦争なんていう人間同士の殺し合いは起こらないで欲しいと願う。

 近所の土器川香川県内でも大きな方だろう。川幅が広く、水はほとんど流れていない。平常時は上流から流れてくる水が満たされる川ではなくて、染み出してくる地下水がメインらしい。それでも、今日のような日は大量の水が流れているだろうと思う。ちょっと出来心で見に行こうかな、なんて思ったが、NHKアナウンサーの高瀬さんが「絶対行っちゃダメ」って言ったから止めておこう。高瀬さんの言うことならば聞かなければね。

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 昨晩、グリーンカレーを食べた。その後唇がやけに痒い。かぶれたのか、実はアレルギーだったのか。いや、アレルギーならもうちょっと激しい反応だろう(ググったら「好転反応」って出てきた。危険な言葉だ。ポジティブにもほどがあるって思うことは多々ある)。

 一瞬ヘルペスか? って思ったけど、特有のチクチクがないので違うようだ。しばし様子見。しかし痒い。モンローばりならかっこいいが、私はチョーさん系になりそうで怖い。